こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
何年も前から断捨離を実践している我が家ですが、癇癪息子が小学生から中学校へ、旦那さんの会社が移転、私の病気発覚などライフスタイルに変化が訪れると、途端に逆戻りになってしまう現実…。
そんな中である日考えた、「そういえば何で断捨離始めたんだっけ??」というお話。
ライフスタイルは常に変化する
「モノ」はライフスタイルによって要不要が変わっていきます。
独身でバリバリ働いていたときは「ファッションに関するもの」(きちんと見えるスーツ、バッグ、靴、お手入れ製品など)、「仕事で必要なもの」(仕事関連の本、PCのデータ、使いやすい文房具)が最重要なモノでした。
結婚してからは「夫婦共通の趣味のもの」(海が好きだったのでマリン用品、音楽CDなど)、「車関連」。
子どもが産まれてからは一気に「育児用品」と「育児にラクな洋服、マザーズバッグ、全速力で走れる靴(笑)」。
息子が中学生になった今は、小学生から中学生にどんどん買い替えなければならない服や教材、主人の仕事内容の変化で必要になってきたもの、私がケガや病気をしてから「身体に負担がかからないように」買い替えた家電など。
断捨離は「捨てること」がまず一番先。でもライフスタイルの変化は、ケガをするなどある日一気に押し寄せてきたりします。
そもそも「35歳で腰をケガする予定だから」「子どもが小学生に入ったら発達障害って診断される予定だから」「夫が50歳になると給料が10万円減る社会現象が起きる予定だから」なんてライフスタイルの変化に「予定」なんてありません。
年代によっても必要なモノ、手放せないモノは変わってきますね。
変化すると雪崩のように家に流れ込んでくるモノ・モノ・モノ。
捨てる早さの何倍の勢いで押し寄せてくるモノたちに、せっかくの気力も萎んでしまうこと、多いです…。
断捨離疲れ。
頑張ってモノと決別してきた人が、最近「断捨離疲れ」を起こし始めていることが増えてきたそうです。
捨てても捨てても入ってくるモノたちに毅然と立ち向かっていた元気のある時。それが何年も続けられる人ばかりではありません。
ライフスタイルの変化に自分の精神力が追い付いていかないことはあります。
例えば私のように「子どもの発達障害が診断された」とき。「親が転んでケガをして、いきなり寝たきりになってしまった」など介護が突然始まったとき。
ワークスタイルが社会の変化によって変わり、収入が激減してしまったとき。
思わぬケガをして、今まで出来ていたことが大変になってきたとき。
激動の世の中に対応するだけで精一杯。せっかく上手くいっていた断捨離だったのに、ここにきて「毎日1捨て」を続けるなんて、もう無理…。
過去にちょっと「断捨離の達成感」を感じた人たちが、特に「断捨離疲れ」に陥ってしまうそうです。「出来ていたあの頃」「気力に溢れていたあの時」の自分の残像が、今の「出来ないでいる自分」を責め続けるのだとか。
「何を目的に」断捨離しているのか
そもそもどうしてあなたは「断捨離」を始めたのでしょうか?
居心地のいい空間を作りたかったから?毎日失くし物を探す生活に決別したかったから?モノに溢れた部屋でつまずいてケガをしたことがあったから?
そこをまず、思い出して紙に書いてみましょう。
私の場合は「子どもや自分のモノを探すのに、毎回発掘作業をしたくなかったから」と「毎日怒涛の息子の癇癪に耐ええる精神を保っていくのに、視覚的にスッキリとした部屋が必要だと思ったから」でした。
そしてどんどんモノを捨てていったのですが、ある日ふと周りを見渡すと、「もっと捨てたいのに捨てる許可が下りているもの」がほとんどなくなっていました。部屋は相変わらずモノで溢れているのに…。
そう。溢れていたのは主人のモノと子どものモノ。
いくら私がふーふー鼻息を荒げて「もっとスッキリしたい、もっとスッキリしたい!」と思っていても、もう我が家としては「断捨離はこれで終了」状態だったのです。
家族とバトルしてでも続けたいのか
そんなとき、私は癌検診で引っかかってしまいました。1度目の結果はかなりの進行状態とのことでした。
私の年齢で癌が発覚した知人は、半年で亡くなりました。人にもよると思いますが、本当にあっという間なんですね。
半年か…。
そう思ったら、何か色々なモノの見方が変わりました。発達障害の息子のことや年老いた母のことも考えましたし、これからどんな順番で終活をしようか、などと考えましたね。
結局3回目の精密検査ではそれほど酷い状態ではないことが分かりました。今は薬を飲み続けて、少しずつ収縮させる治療をしています。
そんな日々で私が思ったことは「家族との楽しい時間を大切にしたい」ということでした。
残された半年間でしたいことは、断捨離について家族とバトルしながら「モノを捨てる終活」ではないな、と思ったのです。
モノが大好きな主人は「オレが天国に行ったら一気にブルトーザーでガガガーっとやっちゃっていいからさ。生きてるうちはあれ処分しなきゃ、これ捨てなきゃ、なんて毎日クローゼット見ながら責められたくないよ」
そう言っていました。
少し私が整理しだすと、気が向いてモノを捨てる気分になることが主人にも息子にも時々あります。
それで十分なのかな。最近はそう思っています。
ある日ふと家族みんなでそれぞれ要・不要を判断する瞬間があったりします。今、やる気がないときに言われるよりも、他人が片付けるのを見ていて自発的に「じゃあこれも…」という時の方がスムーズに出来るし、何より気分良くできますよね。
「アンダーウエアは3組まで」「お皿は家族の人数分だけ」「靴は5足あれば足りる」。
そんな風に断捨離の本を書いている日本人の殆どが「数の上限」を決めた文章を書いています。日本人の国民性というか、ストイックな人は本当に多い。
初めのうちこそ、その少数精鋭の「数を限定する考え方」は衝撃的でしたが、ストイックであればあるほどその気迫に押されて疲れてしまう。
そんな風に思っている人は少なくはないと思います。だから結局リバウンドしてしまうんですよね。
まとめ
もしかして私も断捨離疲れ…?
そう思ったら、まずは断捨離を始めたあなたの「目的」を紙に書いて可視化しましょう。そして考えてみてください。あと半年しか生きられないとしたら…?
半年間で大切にしたいことは何でしょう?
振り回されているのは「モノ」ではなく、「本当に大切なものを見落としたまま生活している」こと。
大切なものをしっかりと見つめることによって、いずれ要不要が頑張らなくても判断できるようになります。そのときにまた、捨て始めてもいいのではないですか?
人と生活は常に変化していきます。「習慣化してやならければいけないこと」「定数をストイックに守り続けること」。それが呪縛になってしまうのなら、あなたにはきっとまだ必要のないこと。
どうぞ「今、この空気を味わえている時間」を大切にしてください。そしてモノより大切だと思える何かに、あなたが気付けますように。
ココロが求めるモノをハッキリと自覚した時。「物質的なモノ」の整理はすんなりと始められるでしょうから。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。