こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
小学校の夏休みの課題。学校に提出された絵や自由研究などを見ていると、今の子供の作品ってすっごく優秀!ですよね。
絵にポスターに書道、読書感想文。自由研究やら交通安全標語やら分厚いドリルと共にもうたくさんの宿題を抱えた夏休み…。
みんなこのクオリティー、どうやってこなしているの??というお話。
夏休みも毎日塾通いな小学生
中学校受験が白熱している最近の小学生。我が家が今住んでいる場所は地方なのでそこまで激しいお受験戦争はありませんが、それでも周りの子どもたちは小学4年ころから徐々に塾へ行く子が増えました。
4年生というと、ちょうど学習の理解度の差が広がってくる時期です。だいたい3年生頃までは何とかついていく子も、4年生あたりでつまずきが出てきて、その後勉強する気が起きなくなる子が続出してくるそうです。
これは小学校の先生からよく聞く話です。4年生は一つの壁なんですね。
ここは都会に比べればのんびりした地方の中核市ですが、4年生を境にだんだんと塾通いを始める子が増え、6年生ともなると塾に行ったり家庭教師をつけたりしていない子は一部の家庭のみとなっています。
中学受験はしないにせよ、この先の高校受験へ向けて学力を上げておかなければ!という雰囲気がありますね。
昔は適当だった(よね…??)
私は田舎育ちで両親が共働きだったので、勉強をみてもらうことはありませんでした。夏休みの課題も自分で配分して自分で全部アイデアを練り、自分で完成させる。
作文などはそれほど頑張らなくても何とか原稿用紙3枚ほどは埋めていましたが…。
ただし、その出来はまた別!(笑)
自由研究や絵、ポスターなどは全く適当でした。インターネットもない時代なので調べものと言えば図書館で本を参照するくらい。親も忙しくて全くタッチしなかったので、本当に低レベルなものを提出していました。
それでもその当時はみんなそんなもの。お医者さんや学校の先生の子なんかはやっぱり上出来で、子どもながらに「そもそも育ちが違うから私とは別世界のヒト」なんて思っていました。
田舎でしたから、そんな風にやり過ごしていても別に怒られもしなかったですね。「どんなモノでも提出出来ればよし!」というスタンスの小学校でした。
夏休みの課題は親か塾講師が仕上げている!
書道の先生もしていた先生がちょっと崩した字で書いたり、美術専攻だった先生が静物画を鉛筆描きでちゃっちゃと描いたりするのだそうです。
「だって私達の仕事は合格させること、成績を上げることですからね。自由研究やら絵やら作文やらで何日も潰されたら勉強してもらう時間足りなくなるし」
とのこと。
「親が課題を全部仕上げて、子どもは塾へ。ってもう普通なんじゃないですかね。宿題代行アルバイトだって繁盛してるし。そう思うと真面目に課題やってることがバカらしくなってきませんか?そういった子が大体賞を総ナメするんですから」
若い塾の先生はそう笑ってお話してくれました。
うーん。確かに小学生にしてはハイクオリティー過ぎる作品多いもんねえ…。
息子の同級生で賞をとった子も、パパが2年かけて観察してきたものを題材にママが仕上げたって聞きました。
公民館で「作文教室」を主宰した先生が市の読書感想文選考員会の人で、その教室に来て自分が添削した子の作文を賞に推す、という話も随分前から聞いています。だから普通に書いても作文で賞は簡単に取れないんだよ、と。
真偽は分かりませんが、そういったこともあるのかもしれないな…と思ったりしました。
ただの都市伝説かもしれないけどねー。
まとめ
今回はそれがいいか悪いか、というお話としてこの記事を書いたわけではなく。
要するに、その子にとって「大切なもの」「優先したいもの」をはっきりと区別していく生き方が出てくるようになったんだな、と思ったのです。
小学校の課題は一律です。それが得意でも不得意でも、全員ある程度の出来を求められる。
かんしゃく起こしながら、出来ない自分と向き合う時間を夏休みになってまでも突き付けられて、それでも「普通に」取り組む必要があるのだろうか…。
発達障害であるこの子の夏休みに優先させたいものは、本当は何なんだろう…。
そんなことを考えながら、小学校最後の夏休みの課題を手伝っている私です。
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。