こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
さて今回は息子が低学年の夏休みにあった、ラジオ体操での出来事。今年度はコロナで開催されなかったラジオ体操ですが、こんなほっこりとしたことがありました。
ラジオ体操前の準備運動??
夏休みの朝。ラジオ体操がある地域はまだまだありますよね。息子の学校も夏休み前半10日ほど開催されます。
私の子供の頃は夏休み中毎日でしたが。しかも冬休みも春休みもあり、そのあと縄跳びやマラソンまでありました。
当時子ども会の役員をされていた方がスポーツ振興課だったみたいで、そのせいもあったのかもしれませんね。朝から結構な運動量でした…。
さてさて、この頃(3年生)は息子、通常7時に起床していました。それも自発的には起きられません。ぐだくだゴロゴロしながら、リビングに来るのは15分後。
それがラジオ体操に出るには6時25分出発、遅くても6時15分には起きなければなりませんでした。
さあ毎朝バトルが始まります。
眠いー。目、開かないー。
別に出なくてもいいんだよ?起こして、って言われたから起こしたんだけど。
行くーっ!
じゃあ起きて。
だって眠いんだもん!目、開かない!
じゃあ休めば?
うわあーっ!行くって言ってんのにっ!
(しかしまだ目さえ開けない。目をつぶったまま枕をぶん投げ、布団を引きちぎるようにし、キィーキィー金切り声を上げ続けて癇癪開始!)
毎朝これです。もう朝6時から既にママの苛立ちMAX!
早寝もひと仕事
このラジオ体操のために、私も通常より早く5時には起きなければなりません。
パパはラジオ体操の間に出勤しちゃうので、パパの朝食、お弁当を準備してから一緒にラジオ体操へ出かけるからです。
私だって眠いのに!
寝不足はイライラを増長させるので、ホントもう、こんなピカピカの天気なのに気分は朝から最悪です。
かといって前の日早く寝せるにしても、この頃は元々7時半過ぎにはベッドに行く生活でした。小学3年生で夜7時前に寝せるなんて…。
無理無理。空だってまだ明るいのに。
そんな早くベッドに行かせても眠れないので、結局いつもと同じ時間に就寝です。それじゃあ意味がありませんよね。
癇癪起こしてまでも行く「理由」
息子がなぜそうまでしてラジオ体操へ行きたいのか。
ひとつは、「行かなくちゃならない」と思い込んでいるから。
強制ではないし、会場から遠い子や高学年の子なんかは行かないらしいです。
体操終了後にラジオ体操カードにハンコを貰うのですが、そのカードを学校に提出するわけでもないし、結構自由なんですね。
なのですが。彼は基本「真面目」なんです。
発達障害の子は生真面目な子が多いと聞きますよね。
不注意・多動・癇癪の日常からは、そう思われることは皆無な我が子ですが本当は真面目なのです。
それから、もう一つの理由は「完璧主義だから」。
一度「行く」と決めたら、高熱でふらふらにでもならない限り毎日決行しなければならない!ようです。
行かなくてもママがはんこ押してあげるのにさ。と言っても、真面目なのでそれはダメらしい。
そして、それを守れない日が来たとすれば「決めたことを守れなかった自分」に猛烈に癇癪を起こします。
ねえ、これ、ただの「ラジオ体操」だから。そんなにヒートアップするような重大事件なの?
もうひとつの行く「理由」
そして最後の理由。「お友達と遊べないから」。
この理由は、実は去年まではありませんでした。
ラジオ体操に行っても、蟻をいじったり、そこらへんにいる子たちと追いかけっこをしたりはしていましたが、特定の子と遊ぶということはありませんでした。(もちろん体操は全くしません。何しに行ってたんだか…)
それが3年生になってクラス替えがあり、見知った友達が前年より増えたせいか、会場に行ってクラスメイトの友達と名前を呼び合いながらタッチをしたり、一緒に並んでお喋りをしながらラジオ体操をするようになったのです。
これには正直、びっくりしました。定型発達のお子さんを持つママにとっては驚きでもなんでもないのでしょうが。
親が気付かないところで息子はほんの少しですが着実に成長し、子どもなりの世界を持ち始めていたのです。
しかも毎日学校で大変な騒ぎを起こしているのに、それなりに受け入れられている…。
私は、普通じゃない息子だもの、いじめられるだろうと始めから決めつけていて、その兆候があれば即座に対応してきました。ずっと。
だから全然、気付こうとさえしなかったんですね。
そんな息子でも、ちゃんと受け入れてくれる子たちが存在していて、息子のそれを「障害」としてではなく「ひとつの個性」として認めてくれている…。
単純に、子どもって素晴らしいな、と思いました。泣けてきましたね。
発達障害を「障害」というカテゴリーに押し込んで、心の中までも区別して「対応」しているのは大人たちの方なんですね。
まとめ
こんな些細な出来事のひとつひとつが、本当に感動をもたらします。
これが発達障害をもった子供たちの親が、神様にもらったギフトのひとつなのではないのでしょうか。
大変な毎日だからこそ、その小さな出来事は宝石のように輝いてみえます。
そんな光の粒を、小さな箱に入れて。
今日も気合を入れて頑張りましょう!
最高のギフトは…もちろん我が子!と言えるように。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。