今週のお題「納豆」
こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日ははてなブログのお題・「納豆」。
私は納豆には付属のタレとちょこっとのお醤油以外、全く何も入れずに食べる派です。
ネギや卵なんかを入れるとその味になっちゃうので、シンプルに納豆の味を楽しみたくて、何も入れません。
納豆を混ぜる時も均一にタレが絡んだらそれでおしまい。
よく泡が立つまでかき混ぜる方もいらっしゃいますが、私はホントにシンプルに食べています。
しかし夫は大の納豆嫌い。子どもの頃は食べていたらしいのですが、何かのきっかけで匂いも吐きそうになるほど苦手になったそうです。
そのため、納豆は誰もいない一人のお昼ご飯のときか、夕飯時のみ。朝食には出せません。(食べると部屋に匂いが残るんだそうです…)
夫が今日は特に遅い、という夕飯時にたまに息子と食べる程度です。
本当は身体にいいのでもう少し息子にも食べさせる日を増やしたいなあ、なんて思うのですが。いちいち匂いが残らないように夫の帰りの時間を見計らって食べるのが面倒で…。
というわけで月に2、3回くらいしか我が家では登場しませんね。
そんな納豆の懐かしい想い出話があります。
私の父が子供の頃は、豆腐と納豆を毎朝売りに歩いている商売の人がいたのだそうです。父は親に「あ、来たね。納豆買ってきて」と言われて、毎朝納豆を1つ買って帰っていました。
父の家族は6人。あまり裕福ではない家庭だったので、納豆1パックを家族6人ですこーしずつ取り分ける。それが毎朝の食事だったそうです。
そして最後にタレがついたパックを、兄弟で日替わり制にして時々ゲットしていたんですって。
今日の順番の人は、タレのついたパックに、最後に一口残しておいたご飯を入れて食べる。それがとても楽しみだったそうです。
父の家は事業をしていて、言うなれば祖父は社長さんでした。
だから部屋の奥には金庫があって、そこにはたくさんお金が入っていました。でもそれは、従業員に払うお給料のお金…。
お父さんは、あんなにお金があるのに使えないなんて、事業主になるもんじゃないな、雇われ身の方がよっぽどお金持ちになれるよ…と思っていたんだって。面白いね!
そんな父も結婚し、裕福ではありませんが平凡的な生活ができるようになりました。
朝食に時々出る納豆は、家族5人で2、3パックを使うようになりました。
父はそのたびに「こんなに満足できる量の納豆が食べられるなんて、いいなあ」と笑っていました。
「そんなに毎朝納豆を食べていたのに、飽きないの?」と聞くと、「あの頃はご飯にのった納豆の粒は数えるほどだったんだ。今は数えられないだろう?嬉しくて余計に美味しく感じるんだよ」と言っていました。
父も母も、子どもの頃は暮らし向きが良くなかったのですが、我が家ではそんな貧しかった頃のお話を笑いながらよく喋っていましたね。面白おかしく話すので、私はいつも大笑いしながらそんな昔話を聞いていました。
大変な時代の話でも、家族の誰かが最後に笑える話をして締めていました。父と一緒にご飯にのっかった納豆を実際に数えてみたりもしましたね(笑)。
懐かしい、納豆のお話です。
しょっちゅう学校から電話が来たり呼び出されたり、毎日頭を下げ下げ生活しているけど…。
食べるのにも満足、というほど食べられた時代がなかった祖父母や親世代の話を聞いていると、食べられるだけ幸せなんだよなあ…なんて思ったりします。
書いていたら、なんだか無性に納豆が欲しくなってきました。今日は納豆、買ってこようかな?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。