こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日は夏に帰省して、実家のお片付けをしたお話。
大きなものは終わりました
それまでは母も体力はあったし、私は発達障害児息子の育児で疲労困憊していたので、「実家の片付け」ということはやってきませんでした。
私の母はミニマリスト思考なので、実家はそれほど「モノが多い」わけではないのですが。
祖父母のものや父の遺品などはなかなか感情的に処分できないため、賞状や仕事関係のもの、本や書類などが残っていました。
月日は過ぎて発達障害児息子も成長し、中学生になった辺りから、実家の片付けを始めました。
母も年々大きなものは運べなくなってきているし、ごみの処分の厳しくなってきたので、少しペースをあげて処分していかないと…と思い始めたからです。
去年は豪華七段飾りのお雛様を処分し。父の作った本棚などを解体して処分しました。
この夏は細かいものを
そして今夏実家に帰って捨てたものは、漆器のお膳18膳。
祖母が生前買っていたもので、当時としてはかなり高額だったもの。輪島塗だか川連塗だかのお膳で、私の婚礼時に使おうと買ったものでした。
当時は結婚式のあとは自宅の和室を大きく開放し、膳を並べて親戚縁者をもてなす風習がありました。
その頃祖父が昇進し、経済的に大変だった生活を脱したところだったので、そんなものにお金を使うのが祖母の楽しみだったようです。
価値のある漆器なのでしょうが、現代では使う場面がもうないもの。
母が納得しやすいように一度寄付する場所へ持っていきましたが、「お膳は(売れないので)引き取れない」と言われたため、今回ごみ処理場へ直接持参して処分してきました。
一緒に私の小中高のカバンやランドセル、大型のおもちゃなども持っていきました。
自分のものはバンバン処分できるけど、親のもの、夫の遺品などは難しいんですね。気持ちは分かりますが、ゴミ処理場の受け入れるものもどんどん狭まってくるので、時間に区切りをつけていかないといけないよね、と思います。
ミニマリストな母であっても、いつかは処分しよう、その当時は高価であっても今は価値がないものだから…。
そう頭では分かっていても、なかなかふっきれずにいたようですね。
まあ、母が気が済むように去年は台所の一か所に積み上げておいたのですが。1年経っても何の行動も起こさなかったので、今回私と発達障害児息子がごみ処理場に持っていきました。
高価な漆器だから「お月見膳に1膳くらい欲しい友達がいるかも」「あのうちは神道だから、行事に何か使うかも」なんて思っていたようですが。
1年経ってもそのことを「電話かけることすら」億劫でやらなかったのですから、これ以上置いておいても何もできないでしょう。
私が言ってもちょっと無理だったかもしれませんが、孫である発達障害児息子が「おばあちゃん、これがあると足元が狭くなって危ないよ」という一言に決心したようです。
書類はなかなか難しいけれど
ランドセルや学生カバン自体は捨てたのですが、その中に色々日記や写真などが入っていたので、これはゴミ袋に入れて持って帰ろうと思います。
それらはシュレッダーをかけたりしなければならないものが多いので、うちに帰ってゆっくりやろうかな、と。
息子の前では恥ずかしいもの(日記とか通信簿とか)がありそうですしね(笑)。
ちょっと面倒な気もしますが、自分の過去を一気にクリアにする、いい機会と捉えて処分していきたいです。
まとめ
近所の方は、100歳近いおばあちゃんの実家を処分するのに400万かかったとか。重機が入る道路のないおうちだったため、かなり高額になったそうです。
しかも解体業者とおうちの中のモノの処分業者は別なので、モノの処分にもかなりの額がこれからかかるそうです。
最近そんな話がバンバン入ってくるようになりましたが、50代になるともう「断捨離する意欲」がみんな萎えてくるようですね。
日常生活をこなしながら実家の断捨離がスムーズにできるのは40代までかもしれません。
ちなみに私の田舎のごみ処理施設では、お雛様やぬいぐるみなどの「ひとがた」のものは受け入れをやめたそうです。
色々あったそうですよ…。怖い、怖い…(笑)。
おば…??怖いなー(笑)。
そんなわけで今回は、実家のお片付けについてお話しました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。