こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日は「読み聞かせ」の効果の最後の章です。
読み聞かせの効果
さて、以下に挙げた読み聞かせの効果を1、2と綴ってきましたが。5番目の章の続きを書いていこうと思います。
1. 漢字の「読み」に強くなる
2. 漢字の「書き」も目で覚える
3. 接続詞・代名詞などが感覚でわかる
4. 相手の気持ちやその場の雰囲気を理解する能力が育つ
5. 様々なジャンルに触れる機会を持てる
6. 「夢」を持たせる
5.様々なジャンルに触れる機会が持てる(後編)
さて、息子が普段読もうとしないジャンルを読み聞かせに時々組み入れている私ですが。
私が時々登場させるのは「昔話や名作もので、一応こんな話だということを知っていて欲しいもの」「南極の氷が溶ける、などの環境問題」「点字を発明したルイ・ブライユなど、障害を持っていた人の話」「難民や地雷探知犬など、世界の色々な問題を考えさせる話」「ほっこりしたり、泣けてくる話」など。
自分では読まない物語を読んで、「感情の動き」を感じたり。
地球の反対側の知らなかった問題を見て「色んな困難があるのだ」ということに触れたり。
耳が聞こえないのに素晴らしい作曲をした人、LD(学習障害)だったけど絵本をたくさん描いた人の話から、「障害」というものに偏見の目を持たずに、真正面から直視するよう誘導したり。
親として教えておきたい「大切なこと」を、読み聞かせを通して伝えていけたらいいな。
そう思って続けています。
「考えること」の大切さ
しかし感動するほどの効果はずっと見られませんでしたが、10歳を過ぎてしばらく経った頃にやっと、息子の発言を通して「ああ、訴えるものがあったんだね」と感じることが出てくるようになってきました。
学校にも行けず劣悪な状態で働いている子供たちに、公正な取引を通して持続的な生活向上を支える仕組みの「フェアトレード」というものがある、という絵本を読み、「…フェアトレード…。覚えよう。このマークの商品を今度は探してみるよ」。
絵本を読んだ後、めずらしく自分の思ったことをそう話して眠りについた息子。
読み聞かせ後の感想は全くない子だったので、この時はびっくりしましたね。
逆に考えると、この効果を感じるまでに10年間もかかっていたということ。
長いよねえ。感慨深いというか、途方に暮れるというか…。
でも、言葉で諭すにはまさに多種多様で膨大な分野なので、こうやって読み聞かせで時々肌に触れさせているだけでもいいのかな。そう思っています。
もちろんこんな考えさせられるジャンルだけだと疲れてしまうので、面白おかしい絵本、後味がとっても楽しい絵本を読む日も組み込んでいくといいですよ。
6.「夢」を持たせる
これ、何だか当たり前の効果なように思われますが。
毎日叱咤され、出来ない自分をこれでもかと突き付けられて過ごしている劣等感満載の発達障害の子供たちの「夢」って、「全然無い」か「激しく小さい」かだったりすることがあるんですね。
息子もそうでした。
幼稚園に入り始めた頃は宇宙飛行士だった夢が、「元に戻りたい」になり、「夢なんてない」になり…。
でも「夢を持つこと」って、大事。特にまだ世間を知らない子供なら、なおさらです。
私達だって、大変な毎日だけど、友達とのお茶や美味しいお菓子、新しいお洋服、温泉、旅行…。なにかご褒美を設定して、また頑張りますよね。
夢や目標がないと、「もうちょっと頑張ろう」という向上心が働かなくなるよね。
別に向上心というほど凄いものじゃなくても、「先生から褒められたいから、とにかく1枚だけは書こう」とか「みんなに凄いって言われたい!だから今度の理科の実験で使う器具の名称は知っておきたい」など、「認められたい」という欲求を満たそうと、「ちょっとだけ」頑張ることが出てきます。
それが些細なことでもいいんです。そこで「認められた!」という喜びを感じることができれば、更に「もうちょっとだけ」頑張れます。
もうちょっとだけ。もう少しだけ。
ちっちゃな背伸びが、校舎中を走り回る彼らの多動や癇癪の規模を「半年前より小さく」しようと自分で制御させる気持ちを作ることもあります。
息子の場合は制御ブレーキが作動したり、2ヶ月経つと壊れちゃったり、そして半年経ったらちょっと性能がよくなったり、かと思えば1ヶ月後に自爆したり…。
行きつ戻りつ激しく後退しつつ…ですが。
でも、そんな後退ばかりの「夢が全然持てなかった」息子でしたが。
4年生のときに「将来の夢」を発表するという授業参観を無発表で通した息子。
普段はちゃめちゃなXXくんだって、知的特別支援クラスのXXちゃんだって、みんな短くても発表できたのに、息子だけずっと無言で癇癪寸前の険しい顔を保護者の皆さまに向け続けていました。
そのあまりの恥ずかしさと悔しさに、帰ってきた息子に対して「夢がないなら無い!って言えばよかったじゃない」と言ったのですが。
彼は床をドンドン蹴り続け、泣きながら言ったのです。
誰かの役に立てることをしたいけど、僕は誰の役にも立たないから…
何だか切なくなってしまい、私はその言葉に無言になってしまいました。
フォローしたところで、彼はその言葉を建物が震えんばかりの奇声でかき消すでしょう。分かっているので、もう何も言いませんでした。
たくさんの本を読んで、たくさんの困難があることを学んで。
彼はその時やっと自分の未来を言葉で表現することができたんです。
「誰かの役にたちたい」と。
人間が「幸せを感じる」条件
「人の役に立つ」ことは社会性動物である人間が、実は一番「幸せを感じる」ことなのだと言います。
誰かの役に立った、ということを実感することが「自分の人生はこれで良かった」と満足する条件なんですね。
夢を全てその手で握りつぶしていた息子が話した、弱弱しい光を放つ夢。
今の私には、こうして彼の知らないこのブログで、その心の素晴らしい成長を喜んであげることしかできませんが。
読み聞かせの威力は、こんな風に長い時間をかけないと見えないことが多すぎます。
ですが私達親だけでは教えられないたくさんの大切なことを、一緒にページをめくるその動作から子供たちは学び取っていきます。
定型発達の子達よりもはるかに膨大な時間をかけて。
そう、まるで1滴ずつ血管に送り込まれていく点滴のように。
まとめ
どうぞ、時間を見つけて本を読んであげてください。
1冊でも、1分でも。
それは子供の心の樹に、必ず実をつかせる努力となります。
実は必ず、つきますよ。
努力が徒労に終わらない、数少ない技法のひとつだと、断言します。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。