こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子との毎日から小さな「生きやすい」ヒントをお伝えしている当ブログへお越し頂いて、ありがとうございます。
今回は本当に個々の家庭で意見が分かれる分野「テレビの時間」について。
発達障害を診て下さるお医者さんからの助言で、息子のテレビの視聴時間を減らしていきます。
パパとママ・それぞれの「テレビ」感覚
テレビやゲーム・ネットの使用時間。
小学校では「長時間にならないように親が制限してください」とかよくお便りが来ますが。
これって家庭それぞれの考え方や生活スタイルもあるので、なかなか一般的感覚で「理想的な」状態にもっていくのは難しい分野かと思います。
例えば「一日中テレビがついている家庭」。結構ありますよね。
今までずうっとそうだったのに、今更その生活スタイルを変えるのって大変。
パパの実家はまさにそれで、深夜まで一日中テレビがついている状態で育ってきたらしいです。
私の家も夜8時頃まではついていた家庭でしたが「食事中はテレビを消す」とか、ちょっとした制限はありました。
お医者さんにすすめられた「テレビの制限」
さて、そんな私も家事の間テレビに育児をさせていた時期もありましたが、息子が発達障害と診断され、お医者さんや専門書などで「テレビやゲームの時間を制限するように」とすすめられて、今日まである程度の制限をしてきました。
その制限内容は、息子のかんしゃくの度合いや成長に合わせて変化していきました。
例えば「朝の支度が終わったら、登校時間まではちょっとだけテレビを見られる」だったのが、ある日「あとちょっとだけ見たい」と言って激しくかんしゃくを起こすようになってから「朝はテレビを見ない」へと変更。
平日で時間がないのに「映画が見たい」と言うので、「今日はここまで」と何日かに分割して今まで見れていたものが、最後までみたくて物損を伴ったかんしゃくを起こしたある日からは「続きものは平日は見ない」へと変化。
平日は一話完結的なものしか見ないことになりました。
僕の場合は、今までママと一緒に決めた約束で上手く回っていたことが、「ある日突然」守れなくなってかんしゃくを起こしてしまうことがあるんだ。
学校での嫌な出来事とか体調とか、きっと彼なりの原因はあるのでしょう。
本人はそのことに触れようとしないので分かりませんが…。
テレビがかんしゃくを増幅させる
こんな風に事前に約束を決めていても、ある日突然かんしゃくを爆発させます。
約束を一緒に考え、紙に貼り出したりしても、時として守れずにかんしゃくを起こすことはテレビに限らす他の事でも時々ありましたが、こと「テレビ視聴」に関してはこの「かんしゃくの規模」は非常にダイナミックで怒りの持続時間も長く、手に負えない印象でした。
それでも心が成長していくごとに理性も少しずつ働くようになってくるのでは…と淡い期待を持っていましたが、テレビ視聴に関するかんしゃくはむしろ年齢が上がっていくごとに激しさを増す一方でした。
5年生になった頃には私と取っ組み合いになったり、重いベッドを力づくで蹴り飛ばして壁をへこませたりしていました…。
この頃には女性の私がもう彼を押さえ込むことは困難になっていましたね。
5年生ですから、物理的な力関係は逆転しています。
きっとテレビは発達障害を持つ息子にとっては、視覚刺激が大き過ぎたのでしょう。
息子が好んで見る番組は「おしり探偵」などの子供向けアニメや惑星や野生動物などのネイチャー系。
興奮や刺激は殆ど感じられないジャンルですが、ADHD特性である「過集中」が強く出ている息子は、それこそ「食い入るように」全神経をテレビに集中して見るため脳がぐったりと疲れてしまい、その疲れが「怒りの感情をコントロールできなくなって」手に負えない癇癪に発展していたのだと思います。
「禁止」ばかりでいいのかな…
そんなある日の日曜日。「夜は7時45分まで」。
数ヶ月その約束を守って見れていたテレビが、なんだかその日はもっと見たい気持ちが我慢できずに、また激しいかんしゃくを起こしました。
いつもなら私と取っ組み合いになるのですが、その日は日曜だったのでパパもいました。
相変わらずテーブルを蹴り上げたり罵声を発したりして苛立ちを爆発させていましたが、パパは呆れたように羽交い絞めにして押さえ込み、寝室へとずるずる引きずって連れていきました。
まあしばらくの間、ドタバタぎゃーぎゃーやっていましたよ…。
冷静に考えたら、たかがテレビ。
明日続きを見ればいいだけなのに、なんであそこまで爆発しなければならないのか…。
私は疲れたというか、もう情けなくて泣けてきて、リビングでうーうー言っていました。
息子が些細なことでかんしゃくを起こすのと同じように、私も些細なことで涙がぼろぼろこぼれてくるのです。
発達障害の子どもを持つ親って、みんな泣いてばかりなんだろうな…。
息子が「床で寝るっ!!」と言ってベッド下にもぐっていったのを見て、パパはリビングに戻ってきました。
「…まあ、夜は夕飯食べたあとにテレビ見るの、これから禁止だな」
学年が上がるごとに激しくなるかんしゃく。それを阻止するように張る禁止事項はどんどん増えていきます。
これじゃあ、禁止事項だけでがんじがらめじゃない?それで本当にいいのかな…。
「制限」は「禁止」ではなく「サポート」
そう話すと、パパはしばらく考えてから「きっとさ、自分でも止められないんだよ、怒りがさ。約束した時間は頭で分かっていても、見たい気持ちが強すぎて負けちゃうんだよ」
自分でもどうしていいか分からないんだと思うな。
爆発したら、自分じゃ止められないんだよ。だったら親が制限するしかない。
自分で制限できないんだったら、手伝ってあげるしかないんじゃないか?
それが5年生になっても、高校生になっても。
それは「禁止事項」でも「制限」でもなく、「サポート」なんじゃないのかなあ…。
そんな話を二人でしました。
サポートかあ…。制限とか禁止とか思うから、罪悪感で苦しくなっちゃうんだよね。
うん。この子たちにはサポートが必要。学校生活でも、入浴でも、着替えでも、テレビでも。
いつか、かんしゃくを起こさずに生活できるようになるために。
自分の感情と上手く付き合えるようになるために。
パパとママが僕をサポートしてね!僕、絶対いつか出来るようになるから!
そうだね。それまでは私達が支えてあげよう。罪悪感じゃなく、この子の未来に希望を持って。
親として、一人の人間として。一緒に成長していこう。
こうやって小さなことでも一つずつサポートしながらね。
まとめ
今はテレビは週末に録画しておいた世界遺産やネイチャー系番組を1、2時間ほど見る程度で息子は満足するようになりました。
平日は高学年になって帰ってくる時間も遅くなってきたので、テレビもゲームもする時間がないためやりません。読書が平日の気分転換になっているようです。
5年生のクリスマスから手に入れた念願のゲームは、週末1時間遊べる約束を今でも守っています。
本音はもっと見たい、やりたいようですが、「確かに長時間になると目も脳も疲れる」「そして怒りが止まらなくなる」ことを頭では認識できているようです。
「制約」は僕にもママにも根気と努力が必要だけど、頑張る価値はあると思います!
テレビでもゲームでもない、読書という視覚刺激をOFFにする時間は、僕にとっては脳を休める時間になっているんだよ。
制約を上手に守っていくコツは「絶対に」「どんなことがあっても」「例外を作らない」こと。
これがまた、「夏休みだから」とか「今日は風邪で休んで何もすることないから」とかつい例外を認めたくなってしまうのですが、頑として厳守することでお互い守れるようになってきます。
制約は子どもだけが守るのではなくて、大人も「守らせる」ために必死で頑張らなければならないものなんだなー、ということがよーく分かりました。
最後までお読みいただいてありがとうございました。