発達障害だって、頑張るもん!

発達障害だって、頑張るもん!

発達障害児を持つママ・ココです。毎日が修羅場のリアル育児。子どもを通して学んだ発達障害児への対応、工夫、その他色々な情報をたくさんの人と共有できたらいいな、と思っています。

【手助けの手をゆるめる】 かんしゃくの要因をあえて早摘みしない方法 

崖に座って景色を眺める女性と雄大な山の景色

 

こんにちは。ココです。

当ブログにお越しいただいてありがとうございます。

 

ADHDで自閉症スペクトラムの息子は激しいかんしゃくを分刻みで起こします。そのかんしゃくの要因を、今回はあえて摘まずに放置していきます。

 

● かんしゃくの原因となるものを早期に親が排除しない。ということで見られた息子の成長。

 

 

かんしゃくの激しさは学年が上がるごとに増幅していく

 

息子の場合、正式に発達障害と診断が下りたのは小学校2年生の後半でしたが、思い返せば幼児期から一般的なかんしゃくとは違う形の「かんしゃく」を起こしていた子どもでした。

 

彼の場合は全身脱力して無言でその場に座り込む「ザ・座り込み」という方法で、その意思を表現していました。

 

幼児期の子どもは泣きわめく、奇声を発する、ひっくり返って手足をバタバタさせる、おもちゃを投げる、などの行為で「かんしゃく」を起こすものですが、息子は全身脱力して座り込み、親が見えなくなっても雨が降ってきても冷たい積雪の上でも横断歩道の途中で車がクラクションを鳴らし続けても関係なくいきなり座り込む、という「かんしゃく」とはちょっと角度の違う方法を取る子どもでした。

 

森で泣いている妖精の子どもとうさぎ

 

そこから「んっ…!!」と言葉を押し戻したような声を出してその場からいなくなる、物を(人がいない方向に)投げつける、という方法に進化し、学年が上がるごとに猛獣のように唸る、大声で叫び続ける、物損、自分を傷つける、他人に手をあげる、とどんどんそのかんしゃくはエスカレートしていきました。

 

いかに早く「問題の種を摘むか」が勝負だった

 
本人をどうにか落ち着かせるだけのかんしゃく対応だったのが、だんだん周囲に影響が及ぶようになり、その対応は先生が危険を防ぐために息子を抑え込んだり、別教室に隔離したりするように変化してきました。
 
しかし本人はそれを毎回拒否します。クラスに留まりたいのです。
学年が上がると隔離や抑え込みに抵抗する力も増してきて、女性担任の先生1人では対応できず、両隣のクラスの先生3人がかりで彼の身体を抑えたりすることも出てきました。
 
さらに成長するともう女性の力では無理で、他の学年の腕力のある男性の先生2人が駆けつけて息子に対応する日々でした。
 
家庭でも週末は夫が手や足で攻撃しようとする息子をよく抑え込んでいましたね。
 
規模の大きい小学校ですが、その中でも1、2を争う激しさだった息子。
私の日々の仕事は、彼のかんしゃくとなる要因をありとあらゆる角度から検知し、早期に除去することの1点に全神経を尖らせる、というものでした。
 

外国の「行き止まり」の看板と青い空

 

心が限界になるまで

 
起床と共に息子のかんしゃくに対応し、小学校へ車で送迎。先生やカウンセラーさんと情報交換し、時間ができると発達障害関連の講座に出たり本を読みあさったり専門家とコンタクトをとって出向いたり。
 
午後になると夕食の支度を早期に始め、小学校と習い事の送迎、かんしゃくてんこ盛りの宿題、同じくかんしゃく満載の夕食、お風呂、寝かしつけ。
 
鏡で自分の顔をみることさえなく、ただただ息子の対応に追われ、周囲に謝罪してまわり、怒って泣いて目を腫らして布団にもぐり込んでいた日々。
そんな時間が何年と流れ、楽しいと思う事、やりたいと思う事が全く浮かばない、笑顔の消えた毎日を送っていました。
 
ふと気が付くと泣いている私。
目が覚めては泣き、食べながら泣き、息子が何か言う度泣き、空を見上げては泣き。
何も頭で考えていなくても、壊れた蛇口のようにいつでも涙があふれてきました。
 
これって軽い鬱みたいなもんかなー…。何だろう、なんかホント、全部出しきっちゃったな、私…。
 
多分心が限界値に達していたのでしょうね。
そこから少しずつ、私は息子との「心の」距離を空けるようになっていきました。
 

定規の左右に座るうさぎのミニチュアとクローバー

「私と息子の問題との分離」

 
もともと心理学科を卒業していた私は 哲学書や心理学関連の本も好きでよく読んでいましたが、何年か振りでアドラーの本を開いたある日、ふとその本に書かれていた言葉が心に落ちてきました。
 

ja.wikipedia.org

 

「自分と他者の問題との分離」。
そう。息子の激しいかんしゃくも多動も不注意も。学校での数々の問題行動も、自分や他人に手をあげてしまう行為も。それは全て「息子の問題」。
 
息子は私ではないので、「私が」どうにかしようとしてあれこれと奔走しても、結局は「息子自身の」問題。
息子自身が「変わろう」と意識していかない限り、私には結局どうにもできないことなのです。
 
そんな当たり前のことを、改めて思い知らされました。
 
読んだときは響かなかった言葉でも、年齢を重ねたり時間を置いたり自分の状況や心が変化したりすると、また違った観点で読めるようになるのが読書の良いところですね。
 
学生時代に読んだ時は頭の中でしか理解できなかった言葉が、息子を産んで育てて悩んでこんなに時間が経った今。
ああ、そういうことだったんだな…。と妙に腑に落ちた瞬間。ずっしりと重たかった肩の力がふと抜けていったような気がしました。
 
発達障害は病気ではありません。脳のアンバランスさが原因で様々なことが今の社会システムにそぐわないだけ。
そのことを自分の中できちんと「納得」して、じゃあどうしようか、この社会システムに沿えるように自分のやり方を少し変えていこうか?納得はいかないけど「生きやすいかたち」を模索していこうか?
 
そんな風に彼自身が「今ここから」「変わろう」とする意識を持つことでしか、問題は解決してはいかないのです。
 
かんしゃくを起こして暴れていても、「私には無関係なんだ」。そう思うことで、スッといい意味で心の距離をおけるようになりました。
そして徐々に彼の激情に振り回されていた自分を彼から分離し、気持ちを冷静に保つことができるようになっていきました。
 

敢えて手助けしない

 
それからは、かんしゃくの種を早摘みする回数を減らしていくようになりました。
 
例えば朝登校するとき。
息子は時計を見ていても「時間の感覚」があまりないようで、7時20分に家を出なければいけないのに7時16分になってもパンツ一枚で昨晩読みかけの本を読んでいたりします。
 
今までは「ほら、もう16分だよ!4分しかないよ!着替えて歯を磨いて薬飲んで行かなきゃいけないんだから、ほら、早く!」
と読みかけの本の間に練り歯磨き粉をつけた歯ブラシを挟んでやり、背中を押して洗面所へ行かせ、パジャマを脱がせて服を頭からかぶせ、パーカーのジッパーを上げてマスクを耳にかけ、靴も片側履かせてあげたりしていました。
 
いくら言っても焦ることがないのに、いざ20分が過ぎた時計を見ると「うわあ遅れた!何で言ってくれないの!遅れる遅れる遅れる遅れるっ!V2EX4UXXーっっ!!!」
と玄関で激しいかんしゃくを毎回起こすので、死に物狂いで用意をしてあげていました。
 
それをやめたのです。
「16分だよ。あと4分しかないよ。歯ブラシはここ(テーブルの上には準備してあげる)に置いたから、終わったら薬飲んでね。あと4分。もう言わないからね」
 
まあ毎回数分遅れますが、「曲がり角まで走って行ったら間に合うんじゃない?」と冷静に言って、息子の怒鳴り声に反応をしないまま玄関のドアを開けるようにしました。
 
私は、きっと何ヶ月か大変だろうな…と覚悟していたのですが。
不思議なことに、怒鳴りながら2日間は出て行ってましたが、その後は「あと5分だよ。もう言わないからね」と最終通告をして放っておいても間に合うようになっていったのです。
 
たまに5分ほど遅れたりして「うわ、やばい!」と言いながら走っていったりしますが、かんしゃくを起こすことはなくなりましたね。
 
学校の送り迎え、実は毎日していたのですが、天候が悪い日や荷物の多い月・金曜日だけ送る、と徐々に減らしていき、今では毎日自分で歩いて登下校するまでになりました。
 

まとめ

 
息子の場合は5年生でちょうど中間反抗期だったこともあったため、親が手助けの手を引いていく時期にはベストなタイミングだったのかもしれません。
 
まだまだあれこれ手をかけなければいけない年齢ですが、それでも今までやっていた「3手先まで読んでかんしゃくの要因を秒速で潰していく」ことをしなくなった現在、息子の心は「ずいぶん大人になったな…」と私の方が驚いています。
 
激しいかんしゃくはもちろん毎日開催中!ですが、その「かんしゃくスイッチ」は「100個以上」存在していたものが、今は数十個まで減ったように思います。
 
子どもの問題と自分とを分離する。
そんな「私の気持ちの変化」で劇的に変化していった息子。
 
そうだな、かんしゃくの芽を摘む回数を減らしてみるかな…。あなたがそう思ったタイミングで、どうぞお試し下さい。
 
この時期にはこうすればいい!その時期を逃したら大変なことに!
そんなタイミング論なんて無視しましょう。
ベストなタイミングとは、きっと「そう思えるようになった瞬間」。それは「あなたの側の」準備が整った瞬間。
それが本当のベストタイミングだと、私は思うのです。
 
最後までお読みいただき、ありがとうございました。