今週のお題「芋」
こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日はちょっと悲しくて、ちょっとほんわか。そんな私の小学生の頃のお話。
楽しみだったお芋掘り
私が小学校低学年の頃、理科の授業の一環で、じゃがいもを半分に切って土に埋めてその後収穫する、という体験がありました。
お芋堀りなんて、わくわくです。
保育園の頃、母に読み聞かせてもらった「おおきな おおきな おいも」という本が大好きで、私はずっとこの本で出てきた「お芋堀り」体験を楽しみに待っていました。(この本ではじゃがいもではなくサツマイモでしたが…)
この本は絵も文章も、とっても面白いです。幼稚園児や小学校低学年におすすめですよ。
単色使いなのですが、味があって子どもには親近感が出るタッチの絵。ゲラゲラ笑えて、息子も大好きな本でした。
悲しいお芋掘り…
お芋は校庭の隅の小さな畑に植えてありました。畑というより、花壇ですね。2クラス80人はとても並びきれません。
それぞれ軍手を手に、一斉にお芋掘りが始まったのですが、掘ることができたのはクラスで中心になっている子たちとそのとりまきの子たち。
当時私は体力も自信もない大人しい子供だったので、同じように「我先に!」と人をかき分けて入っていくことのできない地味な子達は、花壇に入れてもらうことすらできませんでした。
そんな私達を見て先生は「全く今の子たちは汚れることが嫌いなんだから」とブツブツ文句を並べていました。
そして「自分で掘ったじゃがいもは持ち帰れる」と言われ…。
もちろん花壇の外に追いやられていた私達には、ひとつもその手にじゃがいもを乗せられることはありませんでした。
祖父の傾聴
悲しい気持ちは、共働きで忙しそうな親には話すことがためらわれました。ためらう、というよりは「話してはいけない」と思っていました。
いつも忙しくパタパタしているし、話しかけても「何かをしながら」なので、子どもゴコロに「こんなつまらないことで仕事の邪魔をしちゃいけない」と思っていました。
しかし祖父は違いました。
祖父も仕事熱心な人でしたが、私が話しかけると必ず身体の向きを変え、手を止めて「じっくり話を聞こう」という眼差しをくれる人でした。
「それで?」とか「それは辛かったなあ」などどいう共感の言葉は全くなく、ただただ黙って、私の話に耳を傾ける人でした。
話し終わったあとも「一緒にお菓子を食べようか」とか「散歩に行こうか」などと私の気分を変えるような提案もありません。本当に「聞く」だけの対応。
その時は一緒に憤ってくれるとか、頭を撫でて慰めてくれるとか、何かしらのアクションが欲しい、と思ったものでしたが。
祖父はきっと知っていたのでしょう。
一緒になって憤慨しようとも、ほろりと泣こうとも、その行為自体に意味はあまりなく、「結局は時間の経過でしか」傷ついた気持ちは癒されるものではないのだ、ということを。
「自分の痛みは自分でしか」癒すことができないのだ、ということを。
「プライベート」お芋掘り体験
それから1年後。祖父は私を裏の小さな小さな畑へ連れ出しました。なんと祖父はあの話のあと、今まで植えたこともなかったじゃがいもを畑で育ててくれていたのです。
祖父と二人、「プライベートお芋掘り」です。
あのとき出来なかった、じゃがいもを土の中から掘り当てること。その重さを両手に感じること。大きなミミズにびっくりした声を出すこと。
暖かい日差しの中、二人で一生懸命お芋掘りをしました。
そうして「悲しいお芋掘り」は、その時から「楽しいお芋掘り」へと記憶が塗り替えられたのでした。
まとめ
口数の少ない、静かな祖父でした。退職して間もなく亡くなってしまったため、一緒に過ごした時間は15年間と短い間でしたが、人の話を聞くときの眼差しと態度は、今でも私の大切な教本となっています。
何も言わず、表情も変えず、ただただ話を聞く。
これって実はとっても「高度な技術」だったのだなあ、とこの歳になって痛感しています…(笑)。
悲しい想い出も楽しい記憶へ、やんわりと塗り替えてくれた私の小学生時代の「お芋掘り体験」。記憶の中のじゃがいもは、今でも秋の日差しを受けて光っているようです。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。