発達障害だって、頑張るもん!

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注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子を持つママ・ココです。子どもを通して学んだ発達障害児への対応、工夫、その他色々な情報をたくさんの人と共有できたらいいな、と思っています。

 

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【ココのちょこっと心理学・4】 その記憶は本当に体験したものなの?「フォルス・メモリ」

緑色の背景にたくさんの写真と地図

 

こんにちは。ココです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。

 

今日は「その時の景色や着ていた洋服、流れていた音楽などがハッキリと思い出せる」のに「実際は体験したことがない」「記憶とは違う事実だった」ということもある記憶の心理学「フォルス・メモリ」についてのお話です。

 

● 記憶は時に「事実とは違う情報」に再構築されていきます。人間の記憶はそれほど確固たるものではなく、ゆらぎ、形を変えていきやすいものだということを頭の隅においておきましょう。

 

 

「毒親」を作り出す子供の記憶

 

抑圧されていた負の記憶を思い出すことで、現在自分が抱えている問題を紐解くとされている各種のセラピー。

フロイトの精神分析療法のひとつにもある「無意識に抑圧されているものを意識化する」ことで自己洞察を深めていくセラピーは、つい最近まで幅をきかせていました。

 

しかしセラピーを受けることで過去の負の記憶を徐々に思い出し、親から肉体的・精神的虐待を受けていた、兄弟差別が甚だしかったため自己肯定感がなくなり社会に適応できなくなっていった、あの一言が私の人生を狂わせた、など、いわゆる「毒親」であったことを思い出し、怒りをあらわにする人も数多く出てきました。

 

ですが、その記憶は「事実」だったのでしょうか?

記憶の心理学への扉を開いていきましょう。

 

パズル化する脳のイメージ

 

記憶の心理学・記憶の移植実験

 

記憶の心理学であるフォルス・メモリで有名な実験があります。

アメリカの認知心理学者エリザベス・ロフタスが行った「ショッピングモールで迷子になった」という架空の記憶を14歳の少年に移植した、という実験です

 

実験を頼まれた少年の兄は、少年に子供の頃に「実際に」体験した出来事3つと、「ショッピングモールで迷子になった」という架空の出来事の1つを話して聞かせました。そしてこれら4つの出来事について5日間、思い出したことをメモしておくように指示しました。

 

すると少年は、実際は全く体験しなかったにも関わらず、ショッピングモールでの迷子の記憶を「思い出して」メモしていきました。

 

「ワシントンにあるユニバーシティ・ショッピングモールで迷子になった」

「迷子になっている自分を年配の男性が助けてくれて家族と会うことができた」

「その男性は青いフランネルのシャツを着ていて眼鏡をかけていた」

「家族と会えるまで不安で怯えていたが、会えた時には泣いてしまった」

 

少年は兄に「迷子になったことがある」という架空の話をされたあと、徐々にありもしない記憶を自分で構築してしまったのです。

 

手をつなぐ兄妹

 

過去の記憶は「作られたもの」なのかもしれない

 

その後同様の実験が男女24名に実施されましたが、約25%の被験者は架空の出来事について「思い出して」いました。

 

この実験から分かったことは、記憶は「事実をそのままビデオレコーダー的に」保存しているものではなく、新たな情報や空想などから再構成されていくものだ、という驚愕の事実でした。

 

実際には体験していないことをまるで経験してきたかのように思い出すこのような現象を記憶の心理学では「フォルス・メモリ」または虚偽記憶、過誤記憶といいます。

 

この記憶の研究によって、無意識にフォーカスしていく心理療法家との論争が起こったり、虐待の被害者と加害者それぞれの記憶の信ぴょう性への議論などが大きくなっていきました。

 

現在でもこの論争は決着がついていないのですが、抑圧されたトラウマ的記憶を思い出して自己精神の修復を促すフロイト的セラピーは、この研究発表の後、使われることがほとんどなくなっていきました。

 

鍵とmemoryの文字

 

記憶の汚染

 

もうひとつ、記憶の心理学で興味深い話があります。ある小学校での出来事です。

男の子が校庭で大けがをして入院することになってしまいました。

学校側は原因を追究するために子ども達に聞き取りをしたのですが、男の子のけがを目撃していた子ども達の話に、「その時間にはいなかった子ども」の存在が出てきたのです。

 

先生   「他に誰かいなかった?」

Aちゃん「そう言われれば…。なんか近くに知らない女の子いたような…」

Bくん 「え、そうだった?」

Cちゃん「あ、そうかも…。赤いスカートの?」

Dくん 「ああ、いたかも。その子が手を振ったから、そっちを見ようとして足をすべらせたんだよね?」

 

みんなは確かに男の子が足をすべらせた瞬間に居合わせたのですが、調べてみると「赤いスカートの女の子」はその場にいなかったそうです。

 

先生に「誰かいなかったか?」と質問され、一人が「そう言われるとなんとなくいたような…」と思い始める一人の子ども。

そして「女の子がいたかも」という虚実の情報が耳から入ると「そういえば居たような…」「うん、赤いスカートだったかも」と、みんなの記憶はどんどん新しく書き換えられていったのです。

 

こうして後から新しい情報が入ると、人は脳内でそれを想像し、「そういえばそうだったような…」という新しい記憶を作り出すことがあります。これを記憶の心理学では「記憶の汚染」といいます。

 

ひまわりと男の子

あの日見た「ひまわり」は、実は「バラ」だったのかもしれない…。

 

まとめ

 

人の記憶というものは、このように「事実」が確固として保存されているわけではなく、記憶を思い出す時に再構築されていることが多いようです。

ロフタスは「記憶は自在に変化し、重ね書きが可能である。無限に書いたり消したりできる黒板のようなもの」と表現しています。

 

「私の親は毒親だった」という恋人の記憶は、事実とは違うかもしれない。しかし、彼女の書き換えられた記憶は「彼女が故意に記憶を捻じ曲げた」わけではないかもしれない。

 

「記憶は絶対的な事実ではない」という記憶の心理を、私達はいつも考えておかなければなりませんね。

 

ココのちょこっと心理学、今回は記憶の心理学でした。お楽しみいただけたでしょうか?

本日も最後までお読みいただいてありがとうごさいました。

 

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