こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日は様々なプロの断捨離術を試しているのに、数年経つと結局リバウンドしてしまう…ということを「根本から」考えてみたお話。
結婚当初は「ミニマリスト」だった
私が断捨離を本格的に始めたのは10年ほど前。数回目の転勤がきっかけでした。
私達夫婦は結婚当初、それほどモノがない生活を送っていました。部屋のクローゼットもスッカスカ。寝室にしていた部屋はダブルベッドのマットのみ。
タンスやソファーなど家具らしい家具は全くなく、唯一あった家具は私が中学生の頃に自室に買ってもらった小さな白いコタツのみでした。
冷蔵庫も実家の父が学生時代に送ってくれた、高さ1メートルもない2ドアのもの。ストーブはやはり実家から持ってきた、10年前の反射式ストーブ。
テレビは夫が独身の頃に使っていたものを、テレビ台にも乗せずに床に直置きでした。
当時は夫の独身時代につくった借金返済のために質素な生活をしていたから、ということもありましたが、その生活に不便さや「どうしてこんな質素な生活をしなければならないのだろう」という鬱積した気持ちもありませんでした。
若かったので憂いている暇なんてないんですね。新しい仕事に慣れることや、新しく始まった新天地での生活に忙しい。
服も靴も全部が1軍で段ボール1つで収まるほど。食器もご飯茶碗と汁椀とお皿2枚とマグカップのみ。今思うと「立派なミニマリスト」でした(笑)。
物が増え続けた原因は
物が少しずつ増えていったのは、出産してから。家族が増えるといきなり経済活動が活発になります。
赤ちゃんは待ったなしですし、大量に、しかもあれよあれよという間に成長するので次々必要なものが出てくる。
私は30代の高齢出産でしたから、もともとない体力と、双方の実家が遠く友達もいない新しい転勤の地での育児を手伝ってもらうため、「あると便利な」育児用品をどんどん購入していました。
「体力」と赤ちゃんのお世話を手伝ってくれる「近しい人」を、「モノ」で代用していたんですね。
赤ちゃんの育児は本当に目まぐるしい。何かを考える暇があったら、30秒でも居眠りしたい!!と思うほど、毎日寝不足でした。
その後また転勤があって引っ越し。息子の「育てにくさ」が発達障害に起因していたことも発覚。この頃からどんどん「モノ」が増えていきました。
モノは怒りや絶望感をやり過ごす対象だった
同じように夫も、この頃から洋服や靴、キャンプ用品など様々なものを所有するようになっていきました。自閉症スペクトラムでモノへの執着が高い息子も同様にモノが増えていきます。
発達障害の有無関係なく、子どもは親の思ったとおりに成長するわけではありません。幼いながらもちゃんと意思のある、「ひとりの人間」です。
ADHDで自閉症スペクトラムな息子は人の何倍も育てにくい。でも、その息子を「親がラクなように」改造することはできません。
私達夫婦と息子は、「発達障害によるどうしようもない」気持ち(学校で叱咤ばかりされること、そしてそれを親が報告を受け、毎日のように学校へ謝罪に行くことなど)をモノによって紛らわせていたのだと思います。
一時期はそんな増え続けるモノたちにストレスを感じていたのですが(だから断捨離を始めようと思い立ったのですが)、そんな時期も「発達障害を持つ子供を持った家族である私達」にとっては「必要な時間」だったんだな、と思えるようになりました。
癇癪を起こしたり、向けられたその怒りを夫婦でお互いに(怒りを含んだ)話し合いをしたり。でもその「怒り」の半分は、モノを所有するパワーへ向けた。
当時の私達にとって、モノを買ったり所有して楽しむことは、どうしようもない怒りや絶望の気持ちを100%全部、息子や自分やパートナーに向けないようやり過ごす方法のひとつ、だったのだと思います。
まとめ
そう思うと「増え続けたモノ」は、当時の私達の「どこにもぶつけられない気持ち」を受け止め続けてくれた、重要な役割を担っていました。
何度も何度も断捨離しては、結局リバウンドしてしまう…。そんな私に必要だったのは、「単にモノを捨てること」ではなく、「その事実に気付くこと」だった。
そう考え直して、私は「自分仕様にカスタマイズした」断捨離を始めることにしました。
次回はそんな私が仕切り直した「小さな断捨離」をお話したいと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。