こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日は「一番病」と言われる、発達障害特有の負けず嫌いについて。
- 競争に「興味」がなかった息子
- 迷走しながら頑張るのは「親」だった時期
- もうちょっとで出来そう、がつい頑張らせてしまう
- 悔しい、恥ずかしいという感情が育っていなかった
- 高度な感情が形成されたと同時に出現した「一番病」
- まとめ
競争に「興味」がなかった息子
徒競走での1位。合奏での花形楽器の担当。クラス委員長。
一般的に発達障害の子供たちには過度に負けず嫌いな部分がある場合が多いです。
しかしADHDで自閉症スペクトラムである息子の幼児期には、こういった勝敗へのこだわりはあまりありませんでした。
足が遅いのでかけっこだけは嫌だったようですが、それ以外はおっとりとしていて本当に「癒し系」と言われていたくらいです。
1年生になってテストで100点だとか何かに選ばれたとかいう場合も、素直に喜びはしていましたが、そうでなかった場合に怒る、ということはありませんでした。
むしろ1位だとか進級テストで不合格だった、などという「結果」には、親から見ていてあまりこの子は興味がないのではないか、とさえ思っていました。競争心ゼロな子だなー、と。
「競争する」意義を見つけられなかったのか、単に興味がなかったのか、そもそも「競争」というものが意味不明だったのか…。今となっては分かりませんが…。
迷走しながら頑張るのは「親」だった時期
その頃はまだ息子が「発達障害」だという事実が分からなかったため、私は定型発達のお友達のママの言葉に自分の教育方針を見直したりしていました。
「ある程度の悔しい!という気持ちは、子供を伸ばすためには必要だよ!」と言われ、そうなのかな、私が悠長に構えすぎているのかな、と考えたりもして様々な苦手分野を叱咤激励しながら訓練させたりもしていましたね。
縄跳び大会があれば、なかなか飛ぶことのできない息子と毎日練習し、鍵盤ハーモニカは指を持って鍵盤を押す介助をし、マラソンを学校までの100メートルだけ一緒に走ろう!と頑張っていた時期がありました。
運動、楽器、書写。不器用で運動音痴な息子を少しでも出来るようにしてあげようと、本やネットで調べたり、高価な道具を用意したり。毎日頑張っていました。
…私が。
当の本人は、もともと普通に教えても上手くいかないし出来ないので、よく泣いていました。
もうちょっとで出来そう、がつい頑張らせてしまう
これが「お話にならないくらいどうしようもない」のなら諦めきれたのですが、あともう少しのタイミングで飛べそう…、あともう一歩で曲になりそう…。
そんな「あともうちょっと」な状態であったために、ついこっちも頑張らせようとして気合が入るあまり、語尾がキツくなることもありました。
もう少し早くに発達障害だと分かっていたら、普通の子たちのようにちょっとしたスポ根練習なんてやらせなかったのになあ、と今は反省するばかりなのですが…。
そんな息子だったのですが、幼稚園から続けていた習い事がいくつかありました。
どちらも進級テストがあって、合格しないと次の段階に進めないようになっていたのですが。息子より後から習い始めた子がどんどん進級していく中、何年も同じ級でうろうろしている息子。
ある日、2年あとから入って仲良くなった子にとうとう級を追い抜かされた時。私は思わず息子に言ってしまいました。
2年も後から入ってきた子に追い抜かされて、あなたは悔しいとか思ったことはないの?!
車の中で運転しながらだったんですが、後部座席にいた息子は無言でしたね。
その日は他の事でイライラしていたため、つい私は黙ったままの息子にガンガン質問攻めをしてしまいました。
普通は悔しくて行きたくなくなっちゃうとか、意地になって頑張るとか、なにか変化があったりするのに、どうしてあなたは変わらないの?おんなじ級に2年もいて、どんどん追い抜かれて、今小学校2年生なのに同じ級は幼稚園の年中さんだけだよ?
恥ずかしいな、とか悔しいな、とかもういやになっちゃうよ、とか、そんな気持ちにはなったことないの?
どうしてそんな矢継ぎ早に、7歳の子供相手に回答を迫っていたのでしょうね。でもこの頃の私は育てにくい息子の育児に疲れ果てていて。責めるような質問がつぎつぎ口から溢れてくる自分にどうしようもない怒りを感じながら、ぼろぼろ涙を流して運転していました。
息子は何だかわからないまま、うわーんと泣いていました。
悔しい、恥ずかしいという感情が育っていなかった
抜かされて「悔しい」とか「恥ずかしい」という感情は、きっとその頃の息子にはまだ育っていなかったのでしょう。定型発達ではないのですから、そういった複雑な感情が未発達だったのですね。
そんな感情の存在すらないのに私にギャーギャー言われても、どう対応していいのか分からない…。
その時の息子はわーん、わーんと、ずっと泣き続けるしか反応できなかったのだと思います。
だってどうしていいか分からないんだもん…。ママの言ってることも分からないし、分からないって気持ち自体が分からないんだよお…。
高度な感情が形成されたと同時に出現した「一番病」
そんな競争心ゼロだった息子が成長し、発達障害と診断された頃には。
今度は全く逆の、「一番病」が時々垣間見られるようになっていきました。
遅ればせながら出現してきた一番病。
この一番病は特に激しい時期があって、その時のかんしゃくは壮絶なものとなりました。
中学生になった今でも「一番」に固執する傾向はありますが、かんしゃくレベルはそれほど高くありません。まわりのレベルと自分を客観視できるようになって、初めて怒りを紛らわす考え方や方法を見つけられたのでしょう。
もちろん「一番に固執するあまりの怒り」がなくなったわけではなく、その感情への対処法をいくつか見つけただけなのですが。
この間5年かかっています。
この5年を長いととるか、割と早かったね、ととるか、微妙なところだよね…。
まとめ
そんなわけでかなりの長い間、この一番病に私たち親や学校の先生、お友達や周囲の人々は振り回されてきました。
怒るだけでなく、暴れて癇癪を起こして暴言を吐いて授業を中断させたりすることもしばしばありました。あまりの感情に自傷行為を起こすことも少なからずありましたね。
社会の中で生きていく私達に芽生えてくるたくさんの感情。その感情への自分なりの対処法を見出すのにかかる時間は、定型発達の子に比べると気の遠くなるような長さです。
それでも彼らなりに少しずつですが成長していきます。たくさんの回り道をしなければならないとしても。そのたびに折れそうになったとしても。
願わくば、太陽に向かって。ひとつでも多くの笑顔を重ねて。生きていってくれたらいいな。そう思いながら、毎朝息子の背中を送り出しています。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。