今週のお題「秋の味覚」
こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日ははてなブログお題「秋の味覚」。
「キャンプは裕福なおうちの行事」であった子ども時代に、「ミニミニ野外活動」??として子どもだけで楽しんでいた、焼き芋のお話です。
体験格差??
今盛んに目にするようになった「体験格差」という言葉。ディズニーランドに行けないことが「体験格差」って…。
我が家でディズニーランド行ったのは13年前ですが…(笑)。
何を基準にして「体験格差」というのかが不明瞭なのですが、キャンプも「体験格差」なんですって。
まあ、私が育った田舎では共働きが一般的で、祖父母と同居も一般的。
土曜も午後からの休みでしたし(半ドン、って言っていました。懐かしいですね)、祖父母と住んでいれば盆暮れ正月、お彼岸は親戚が集まり、ゴールデンウイークは大抵地域行事の参加が必須だったりして、自由に使える「連休」というものは存在しませんでした。
だから小学校で「キャンプに行くんだ」という子は全校生徒の中でも1人や2人。議員の息子だとか医者の子どもだとか、とにかく「キャンプは裕福な家庭の娯楽」というイメージでした。
そのためキャンプや野外炊事は「憧れの的」。
でも当時の子ども達は「私も行きたい!」と親にせがむことはなく、基本「自分たちで何とか工夫して」なんちゃってキャンプ体験をしたものでした。
だから息子が小学生の頃にキャンプができて「私が」嬉しかったです。
自分たちで考えて、できる範囲で工夫して楽しめる。そこら辺が、現代の子ども達との違いかな、と思います。
ゲームやYouTubeなど、「与えられる娯楽」ばかりを「手軽に」手に入れてばかりなため、「自分で考えて工夫する」ことを「面倒だ」と思ったり、「こんなんじゃない」(YouTubeで見たグランピングで、シェフがグリルステーキを目の前で焼いてくれるようなのが「キャンプ」だと思っている)とイラついたりする。という子どもの話をたまに聞きます。
それは「ディズニーランドに行ったら」「グランピングを経験したら」埋められるのかな?そんな体験をして「何の溝を」埋めたいんだろうな…。なんて考えてしまいますね。
ごみ焼き芋??
そんなド田舎育ちの私。秋になると、目の前の田んぼの稲は刈り取られ、ところどころで不要な藁と一緒に紙くずなどのゴミが、時々燃やされていました。
当時はゴミを燃やすことに規制はなかったし、炎が立ち上がらない限り、大人もその焚火は放置状態でした。
田舎は畑仕事をしていたりして人の目が常にありましたし、子どもも火遊びをするほどお馬鹿さんではありませんでしたしね。
私たち子供はそんなごみ焼き焚火を見つけると、喜び勇んで各自の家からじゃがいもを持ち出してきて、焚火に突っ込んでいました(笑)。
「たき火だたき火だ、落ち葉たき~」(「たきび」日本童謡)
なんて歌いながら、ごみ焼き焚火のまわりに手ごろな石や枝を置いて、それを椅子にしながら「なんちゃって野外活動」を楽しんでいました。
昔は分からないときにすぐ質問できるグーグルさんはなかったので、じゃがいももそのまま直に突っ込み。
真っ黒に焦がしていましたが(笑)。
それでも割ると中がほくほくと焼けていたりして、そこに塩をぱらぱらかけて「キャンプ、キャンプう~」なんて楽しんでいました。
キャンプで「焚火じゃが」をするには、新聞紙やペーパータオルで包んだじゃがいもを水に浸して、それをアルミホイルで包んでから焼くと上手に焼けるよ!
焼きあがったら十字の切り目を入れて、バターや塩で食べてね!とっても美味しいよ!
まとめ
今考えると「え、ごみ焼いていたんだよね??そこに直接…??」なんて引かれちゃいそうですが…。
うーん、そうなの。でも誰もお腹壊さなかったし(笑)。そーいえば食中毒になった、っていう子は全然いなかったな…。
私は今でもお腹は丈夫です。田舎者だから鍛えられたのかな、色んなものに(笑)。
はてなブログお題・「秋の味覚」。私の秋の味覚は「焼きじゃがいも」。
皆さんの「秋の味覚」は何ですか?
食欲の秋、「食べれる」ってことは「幸せなこと」「平和なこと」なんだよなあ…という思いを嚙みしめつつ、楽しみたいですね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。