
こんにちは。ココです。
注意欠如多動症(ADHD)で自閉スペクトラム症な息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
なんだか最近、心が疲れたな…。今日はそんな時におすすめしたい本「ちょっと、いい話」。のご紹介です。
見開き数ページで、読みやすい
この本は、見開き数ページにつき1話。という短編でほぼ構成されています。
ちょっと仕事が煮詰まった時に。会社帰り「ああ、なんか疲れたな…」という落ち込み気味の気分のときに。
読みやすくて、読み終えるとちょっとだけ優しい気持ちになれるお話がたくさん載っています。
それでは一部を抜粋してご紹介しますね。
デンマークのトマソン・サイン会での出来事
これは日韓ワールドカップに出場していた、デンマークのサッカー選手・トマソンと障害を持つ男の子とのお話です。
男の子はポケットから1枚の紙きれを取り出して、トマソンに渡しました。そこには英語で、こう書かれていました。
「僕は小さい頃に病気にかかって、口と耳が不自由です。耳は聞こえません、話せません。だけどサッカーはずっと見てきました。大好きです。僕はデンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです。頑張ってください」
学校の先生に書いてもらったというその手紙は、読んだ人すべての人の心を打ちました。トマソンは笑顔で少年に対して「君は手話は出来ますか?」と巧みな手話で語りかけたのです。
「トマソン選手はどうして手話が出来るんですか?とても驚きました」
「私には、君と同じ試練を持っている姉がいます。その彼女のために私は手話を覚えたんだよ。
君の試練はとてもつらいものでしょう。しかし、君と同じようにあなたの家族もその試練を共有しています。君は一人ぼっちじゃないってことを、ちゃんとわかっていますか?
君にも、私にも、誰にでもつらいことはあります。もちろん君のママにもつらいことはあるのです。それを乗り越える勇気を持ってください」
この会話を見て、少年の後ろに控えていたお母さんも、取材に来ていた記者も、周りにいる多くの人が涙したといいます。
そしてトマソンは男の子にこんな言葉を残しました。
「君には試練が与えられている。それは神様が決めたことであり、今からは変えられない。
でも、神様は君に試練を与えたけれど、君にも必ずゴールを決めるチャンスをくれるはず。そのチャンスを君は逃さず、ちゃんんとゴールを決めてください」
この言葉を聞き、男の子は満面の笑みを浮かべて「はい」と答えたそうです。
引用元:「ちょっと、いい話」 佐藤 光浩・著
実はこの本で私が一番感動した話。
発達障害児育児をしておられる一部の読者の皆様の心にも、響いた言葉だったのではないでしょうか。「試練を共有している」という言葉が。
障害を持つ姉を持ったトマソン選手ならではの、胸に熱くくる言葉ですよね。

君が生まれたあのとき、どんなことがあっても君を守ってみせる、と思った。その言葉を、僕は忘れるときがあるんだ…。だからこそ君と試練を共有するように。そう神様が決めたんだね。
神様は試練を与えて、それを今からは変えられない。そんなキッパリと言い切る言葉もまた、心に強く訴えてきます。
障害を恨んだり、生きていく困難さを「どうにかしたい!誰か助けて!」と多くの人が叫びます。
対して発達障害児息子は、小学校低学年から、彼の心をサポートしてくれる服薬を開始したために、「自分の障害を受け入れる」年齢が早かったように思います。
この試練は「誰かが助けてくれるもの」ではなく、「自分の生涯の課題として」悩んだり凹んだりしながらも「乗り越える勇気をもって」生きていかなきゃならない。
そんな「乗り越えなければならない高い壁」を、真正面から見据えて歩いてきたからこそ、今がある。
そう改めて思わせる言葉でした。
障害を持つ子供や家族の皆さんに、是非知って欲しい素敵な言葉です。
トルコ航空機、日本人のために翔ぶ
1985年3月、イラン・イラク戦争は戦闘が激化。そんな中、イラクのサダム・フセインが、今から40時間後にイランの上空を飛ぶ全ての飛行機を打ち落とすと、世界に向けて発信したのです。
当時イランには多くの日本人が滞在しており、彼らを含む外国人たちは慌ててテヘラン空港に向かいました。
しかしどの飛行機も満席。世界の国々は自国民を救出するために特別機を飛ばしますが、日本政府は素早い決定ができず、救援機を出せずじまい。パニック状態に陥る人も多かったといいます。
そこに、1機の飛行機が到着します。そして取り残された日本人216人を搭乗させると、成田に向かって飛び立ったのです。それはサダム・フセインが示したタイムリミットの、ほんの1時間15分前でした。
ただ、それは自衛隊の救援機でもなければ日本の航空機でもなく、日本から遠く離れた国、トルコ航空の飛行機でした。
しかしトルコの飛行機がなぜ日本人を救出してくれたのか、その理由について、日本政府もマスコミもわかりませんでした。
時を遡ること約100年、1890年9月16日のことです。オスマン帝国(現トルコ)から日本に派遣された特派使節が無事任務を終え、巡洋艦・エルトゥールル号で帰国の途についていました。
しかし、天候が悪く大荒れ。エルトゥールル号は海の難所として知られる「船甲羅」という岩礁に乗り上げてしまったのです。
その時、自分たちの命の危険も顧みず、船員たちの救出に向かい、献身的な介護を行ったのは旧大嶋村(現和歌山県串本町)の住民たちでした。
609人の乗組員のうち、救助できたのは69人だけでしたが、トルコの人々は彼らに、そして日本に深く感謝したのです。
トルコ航空機がなぜ日本人を救出したか。元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏はこう語ったといいます。
「エルトゥールル号が遭難したときの、日本の人々がしてくれた献身的な救助活動を、今もトルコ人は忘れていません。私も小学生のころに歴史の教科書で学びました。今の日本人は忘れてしまったのかもしれませんが、トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の出来事を知っています。それで、テヘランで困っている日本人を助けるため、トルコの飛行機が飛んだのです」
引用元:「ちょっと、いい話」 佐藤 光浩・著

高校から「世界史」と「日本史」がなくなって、「歴史総合」になる、という話を聞いたことがあるかと思いますが。(近代史しか学ばないような内容になるそうです。)
でもこれからの国際社会を生きていく子ども達に、私は「歴史」という教科は必須だと思うんですよね。
これからは日本国内だけで、周りが日本人だけしか関わらないって生き方は難しくなってきます。
外国の方を知るには、その国の宗教観、日本との歴史上の関わり合い、紛争や貧困など「その国の背景を知ってから」でないと難しい。
過去の対立やしこりなどは、延々と親から子へ、脳内に刻み込まれていく傾向があります。
そういったことを踏まえて会話をしないと、お互いの理解が難しくなることも。
日本人だって「原爆を投下された唯一の国」という歴史を全国民が習いますよね。
原爆投下から80年経った今でも、経験者ではない日本人でさえ、映画「オッペンハイマー」に対して違和感を感じてしまう…。
そういった様々な国の様々な歴史的背景を知る、という意義には深いものがあります。
そしてこのような気持ちが温かくなる歴史もまた、たくさんの人に知って欲しい…。
そういった意味で、本当に素敵なお話です。
まとめ
今日は「ちょっと疲れたな…」。そんな時のビタミン剤になる「ちょっと、いい話」という本のご紹介でした。
気になった方は是非。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。
