こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日は知的障害支援クラスから情緒障害支援クラスへと移籍したAくんの「悩み事」のお話の続きです。
「分からない」から「つまらない」!
知的障害支援クラスに入ったものの、学習進度のあまりの遅さに苛立ち、Aくんを情緒障害支援クラスへと移籍してしまったAくんのお母さんでしたが。
Aくんの移籍したその学校の情緒障害支援クラスでは、5教科(国語・算数・理科・社会・英語)を全て普通クラスへ行って受けることになっていました。
せっかく知的障害支援クラスで自分の理解度に合わせて個別に教えてもらっていたのに、また普通クラスへ逆戻りです。
IQ78であるAくんにとって、IQ85程度ないと理解が難しい4年生以降の授業はこの時点で「つまらない」ものになってしまいました。
展開図や分数(算数)、水蒸気などの水の状態変化や体積(理科)、理由に基づいて説明すること(国語)など、抽象的な単元が多くなってくるからです。
授業内容が「十分に理解できず」「つまらない」Aくんは、また以前のように多動が頻発し、授業をしばしば中断させてしまうようになってきました。
学力の底上げをしてくれる支援クラス
日本の教育は基本的に底辺を底上げし、ある程度のレベルまで「みんな一緒にできるようになる」ことを目標としています。
海外のように飛び級や英才教育クラスがあまり存在しないことが問題視されることもありますが、逆に学力の底辺人数が非常に少ない国でもあるのです。
アメリカで3ドルのチョコレートを4つ買い物をして20ドル札を出したら、5ドルのお釣りを出され、違うよ、と指摘すると今度は10ドル返されてびっくりした、なんていう話はよく聞きますね。知的な遅れがないのに、簡単な計算ができない人口は意外と多いのです。
知的障害支援クラスでは、4年生までの学習内容はできるだけ習得させよう、という目標みたいなものがあるみたい。5、6年生の分野はその子の理解度に合わせて、できるところまで、って感じかな。
知的障害支援クラスでも6年生の問題をちゃんと解いてる子もいたよ!理解度に合わせて教えられたら知的障害があっても伸びる可能性があるんだね。
知的障害支援クラスや情緒障害支援クラスは、その「底上げ」に貢献しています。
1クラス8人の少人数にして、知的障害支援クラスは理解度にあった指導で「学力」の、情緒障害支援クラスは「心の安定場所を確保させて」子ども達を支援します。
「普通クラスでの学習の進度」ではなく、Aくんの「理解度に合わせた進度」に焦点を当てられたら良かったのですが。残念ながらAくんのお母さんには、その辺の理解が得られなかったようです。
「支援クラスに入ったから、ますます酷くなってしまったのだ」というAくんのお母さん。そうしてAくんはお母さんの強い要望で、次年度から普通クラスへ戻ることになりました。
「分からない」ことが「分からない」
Aくん自身も自分が「算数のどこが分からないのか」「クラスの授業がつまらないのはなぜなのか」が分かっていたら、授業の妨害をせずに済んだでしょう。
ここ、重要だけど、僕たちには「妨害してやろう!」っていう悪意があって多動になるわけではないからね!つい身体が動いてしまうんだ。
中学生になってから気付いたんだけど、「内容が分かりきっている授業」や「自分の興味がない分野」なんかは「つまらない」から緊張感がなくなってしまって動いちゃうんだよね…。だからグイグイ引き込まれるような授業の時は多動が出てこないよ!
上手い先生は、僕が動き始めると「息子くん!XXXはどうして出来たんだっけ?」なんて僕に説明させながら授業を進めたりしてたなー。
息子くん、どーでもいい雑学が豊富だもんねー。
確かに…。
知的障害や発達障害の子は「何が分からないのか自分でも分からない」まま進んでいくことが多いです。それでも、彼らには「理解できるレベルまでハードルを下げて説明されれば」理解できることだってあるんです。
私個人的としては、子供は本来「知りたい!」という欲求が目一杯ある存在だと思っています。それは発達障害でも知的障害でも同じこと。その「知りたい意欲」を欠いてしまうのは、教える側の様々な問題があるからなのではないでしょうか。
一筋縄ではいかないから
ただ、あまりにも多様な子供たちが多くて、先生たちは疲労困憊。支援したらもしかして上手くいきそう…と思っていても、現実には手が回らないことが多々あるのだと思います。
手のかかる子ども達には知的障害や発達障害、境界線のグレーゾーン、愛着障害、身体障害、性的マイノリティー、その他家庭に問題がある子…とカテゴリーも様々。
その上モラルのない保護者や学校に理解のない近隣住民にも対応していかなければなりません。
子ども自体の問題よりも、保護者や近隣住民の苦情対応の方が遥かにストレスフルです。小中学校の先生は、本当に頑張っていますね。お疲れ様です。
結局小・中学生の場合は、いくら周りが「こっちの環境がこの子には合っているのでは?」と思っても、保護者に強い意見があれば大概それを尊重せざるを得ません。
Aくんのお母さんに先生は「知的障害支援クラスの方が彼は落ち着いて勉強できていましたが…」と再三お伝えしたそうですが、頑なに拒否。
その後Aくんは普通クラスに在籍してはいましたが、日を追うごとに険しい顔つきが増え、学校を休む日が多くなっていったそうです。
まとめ
知的障害や発達障害の子ども達は、自分の「気持ち」が中学生になってもよく分からないことが多いです。特にIQが高い発達障害児の場合は、「こんなにテストもよくできるのに、どうして理由が説明できないの?!」なんて苛立たれることも多い。
息子もそうですが、「自分が感じた雰囲気」「思ったこと」「わからないこと」を言語化することが難しいです。これは語彙が多い少ない、といった問題ではありません。
それが、でこぼこの激しい「発達障害」たるゆえん、なんだねー。
もしかして学校を休みながらも普通クラスに在籍していたことが、あとになってAくんの何かのためになることだってあるかもしれません。だから一概には「こうすべきだった」という判断は私達にはできないのですが。
親が学校と病院の先生、スクールカウンセラー等、たくさんの人の意見とAくんの状態をすり合わせて検討する「忍耐」と「心の余裕」があったら…。Aくんの笑顔がもっと増えたのではないかな…。と思ってしまうのです。
「支援」は親ではなく子ども達に届けられるもの。学力や偏見に振り回されずに、その子自身が「学校生活での困難さが少ない」日常を送れるよう、考えてあげたいですね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。