発達障害だって、頑張るもん!

発達障害だって、頑張るもん!

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子を持つママ・ココです。子どもを通して学んだ発達障害児への対応、工夫、その他色々な情報をたくさんの人と共有できたらいいな、と思っています。

 

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【発達障害児の断捨離でわかったこと】 必要なのは心の整理ではなく「自分のペースで考えることができる十二分な時間」

ベージュの背景に片付けをする親子

 

こんにちは。ココです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。

 

コロナウイルスの影響は学校に家庭に仕事にと、いくつもの影響を与えるばかりであまり良いことがありませんでしたが、小学校での長いコロナ休校期間に息子と二人、気付かされたことがありました。

今回はそんな中でのひとつ、息子には長年縁の遠かった「断捨離」のお話です。

 

● おうち時間の長い一日が、発達障害児にいつも足りなかった「ひとつひとつのことに向き合う時間」になる。

 

 

「モノ」への執着心が強い息子

 

我が家の発達障害児息子は、とにかく「モノ」への執着心が強い子です。モノが好き、というよりは、「所有することが」好きなんじゃないのかなー、と思います。

コレクターともちょっと違いますね。

 

小石、錆びた鉄くぎ、ペットボトルの蓋。誰かのバッグに付いていたであろうキラキラビーズ、とんでもなく長い枯れ枝、虫の抜け殻。

広告にあった戦闘機の切り抜き、どっかの温泉のパンフレット、何かの毛(犬?猫?)。学校のチョークの粉、校庭の砂、割れたガラス(危ない!)。

 

その瞬間目に入ったものなら何でもポケットに突っ込んできます。そんな息子ですから、幼児期からある玩具や本、雑貨なども絶対に手放そうとしません。

男の子は往々にしてこういった収集癖があるようですが、息子の場合はジャンルを問わないし、不衛生だろうが正体不明だろうがお構いなしです。

 

私が「ぎゃあーっ!なにこれっっ!!」と悲鳴を上げてしまうものまでお持ち帰りし、その後捨てようとは絶対にしません。

 

執着地が強いのにモノの存在をすぐ忘れる

 

ただでさえ毎日癇癪起こしているのに「え?小石?捨てたよー?」なんてちっちゃな出来事で更にまた癇癪起こされたらこっちの神経が持たないので、その日はそのままにしておきます。

 

モノに固執するのはどうも「自閉症スペクトラム」の子が多いようですが、息子は「ADHD」併発なお子さま。2日も経てばあれだけ騒いでいたその「モノ」の存在を忘れてしまいます。

 

モノに対して非常に強い執着を見せ、取り上げようとすると発狂したかのように激しい癇癪を起こすほどなのですが、あっという間に興味が別の方向へと逸れていき、そのモノを持ってきたということさえ忘れてしまう息子。

 

うさぎのアイコン





その「すぐに存在を忘れてしまう」特性を利用(?)して、息子くんのの膨大に膨れ上がるゴミを少しずつ処分しているんだよ。じゃないとうさぎちゃんがお部屋をうさんぽできなくなっちゃうんだもん。

 

この「捨て方」にはちょっとしたコツ?があります。1週間ほど経ってから、見えないように捨てるのです。

 

苦笑いの女性のアイコン





それもいきなりどさっ、と捨てると「あれががなくなった!」と気付かれてしまうので、他のゴミに紛らせたり、紙袋に入れて見えなくしたりしながらちょっとずつ(笑)。

 

片付けは「親主体で」

 

この際、「いくら子供のモノでも、親が勝手に処分をしないこと。信頼関係がなくなってしまいます」といった定型発達児向けのお片付けの極意を鵜呑みにしてはいけません。

かく言う私も以前は鵜呑みにして、このお約束を律儀に守っていたこともありましたが。

 

無理、無理。1ヶ月でゴミ屋敷になっちゃう!!

だって「これいる?」って聞くと、100個のモノに100個「いる!」って即答ですもの。

 

眼鏡をかけた男の子のアイコン





お片付けなんて、発達障害児にとっては東大合格くらいの難題だと思う!絶対そうだよ!

 

逆に以前アスペルガー症候群に分類されていた子の一部には「きっちり綺麗に毎日管理!」が特性なタイプもいますので、一概には言えませんが。

 

さてさて、長期も長期なコロナウイルスによる休校だった期間。宿題はたくさんあるものの、通常よりもたくさんの「自由時間」ができました。

習い事も図書館も科学館も全て休みになっていた期間だったので、本当に時間がゆっくりと流れていきます。

 

綺麗な海と時計

 

私自身も学校や習い事への送り迎え、苦情対策等などから解放され、気持ちにもちょっぴり余裕が出るようになっていました。息子も慌ただしい時間配分がないので、癇癪も減ります。

 

プチ断捨離に息子が参加

 

そんなゆったりとした時間の中、私は目についたものを少しずつ処分するという「プチ断捨離」をするようになりました。

膨大な宿題をやらせながら部屋を見渡して、ふと「これはもう要らないかな…」と思ったものを処分するのです。

 

この頃の窓の外は春の日差し。部屋の中にも明るく暖かい太陽が入り込んでくるので、気分も前向きになっていたのでしょう。そんな「ちょっとしたもの」をちょこちょこ捨てているうちに、断捨離はだんだんと勢いがついてくるものです。

 

はじめ捨てていたのは「多分行かないけど行くかもしれない店の」クーポン券とかだったのですが、そのうち何枚もある幼稚園の運動会の写真とか。(思い出ものは、捨てるのに気合が要りますよね)

鉄分補給にと買った鉄の中華鍋とか。(腱鞘炎が再発するようになってきたので、もう重い調理器具は無理だな、と思って)

だんだん「手放そう」というモノのグレード(?)もアップしてきました。

 

そんな感じで2週間ほど経った頃。

私が息子のガラクタ入れの一つである箱のそばにあったものを処分しようとしたときです。

 

おもちゃの金魚と水ヨーヨー

 

すぐさまそばにやってきて、久しぶりに息子はそのガラクタ箱を開けました。

「あーこれ。うんうん、こんなのあったなー」などとごちゃごちゃ部屋に並べまくる息子。その中身は錆びた金具、鉛筆の削りカス、拾ったBB弾など、本当に「がらくた」。

 

私はふと「それ、今も要る?」と言ってみました。すると。

 

眼鏡をかけた男の子のアイコン





うーん。もういいかなー。…よし、捨てよう!

 

びっくりしました。

今まで何度も同じ言葉で処分を促していて、全く効き目はなかったのに…。

 

必要だったのは「彼のペースで考えられる十二分な時間」

 

宿題、習い事、家庭学習、癇癪、お風呂…と、電車の時刻表を見るように駆け足で追いかけていた時間が、ゆっくりと一日の温度の変化をたどるように流れていく日々。

欠けた消しゴム、空き缶のプルタブ、なんかの切り抜き…。それらをひとつひとつ手にとって。

 

彼は今まで時間が無くて考えられなかった「そのモノに対する自分の中の価値」を考える、という作業を繰り返すようになりました。

 

もちろん次の日にはまた、貯まったお小遣いでくだらないモノを買ってきたり、散歩の途中で意味不明な何かを拾ってきたりしてはするのですが。

それでも長い休校期間で、モノの「要る・要らない」の判断を下すスピードが速くなってきたように思いました。

 

砂時計と「TIME」の積み木

 

そうかあ…。

「モノを手に入れる」ことで「僕は何もできない」「僕はダメなんだ」という満たされない気持ちを埋めているのかな…と思っていたんだけど。

「考える時間がたっぷりあったら」向き合ったり、判断したり、できるんだね。

 

そうか。足りなかったのは「自己肯定感」だけじゃなくて、「彼のペースで考えることができる十二分な時間」だったんだ。

 

まとめ

 

ゆっくりと、焦らずに答えを出せるくらいの、豊富な時間。

世界中が混乱している今。私達に与えられたのは、この「豊富な時間」なのかもしれません。

それを「不安で胸が掻きむしられる、長く辛い時間」とするか、「これまで考えられなかったことに丁寧に向き合う時間」とするか。

息子の小さな断捨離時間を見ていて、ふとそんなことに気付かされた私です。

 

悪くなっていくことばかりを探し続けないで、時代の変化をしなやかに乗り切れるようになれたらいいですね。

 

本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。

 

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