こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
前回「全文口述文章をそのまんま書き写す」という模倣の作文練習をしていた息子。慣れた頃にステージアップをしていきます。
「自分の言葉」を合間に挿入する
全文口述文章丸写しでやっとのこと、癇癪を起こさずに作文を書けるようになった息子。(まるで裁判所の書記官ですね(笑)。)
この頃から指導しなくても、彼は徐々に作文途中に自分なりの言い換えを提案していくようになりました。
「『日曜日、僕は水族館に行きました』」(私が言ったことを、そのまま記述する。)
「『深海生物もいて、楽しかったです』」
「深海生物は、ダイオウグソクムシだよ」
「じゃあそう書いて?」
(深海生物のダイオウグソクムシもいて、楽しかったです。と書く。)
「『本で見ていたので知っていましたが、本物は凄かったです』」
「深海生物XXX(本の題名)だよ」
(立ち上がり、その本を持ってくる。本の題名を正確に書き写す。深海生物XXXを見ていたので知ってましたが、本物も凄かったです。と書く。)
深海はまだまだ知られていないことばかりで魅力的な題材です。そうそう、ダイオウグソクムシって食べられるんですって!エビのような味だとか…。
「自分の文章」も入れられるように
その後、私が何も言わないうちに「でも動かなかったので、置物かなと思いました」などと、一文くらい続けて書いたりするようにもなりました。
たまにノッてくる日もあって、そのまま2、3文章書き続けるときもあります。
大抵そういう場合は、昆虫や宇宙、バネの構造など、得意な題材のとき。
定型発達児でも、好きな題材のときはすらすら書き続けることができますよね。本を読んだり関連テレビを見たりして、題材の情報を事前に蓄積させておくとラクに書き進められます。
しかしここで問題が。この作文を放っておくと、自分の感じた気持ちが全く書かれていない、ただの説明文になっていくのです。
当時は「何を書いてもいいよ」 的な宿題だったので細かなことは放っておきましたが、本当に最初から最後まで、事実の羅列のみで終わることも多々。
例えば…。
「2月1日。今日はマリ・キュリーの本を読みました。マリ・キュリーは、ラジウムとポロニウムを発見した人です。ラジウムは放射能を持っていて、その半減期は1600年という長さだそうです。とても危険な元素です。」終わり。
…それ、本の中身要約しているだけじゃ…??
「ただの要約文」にならないように
最後に「危険なのに研究を続けて凄いなあと思いました」とか、「こわい元素だと思いました」とか…。
いっそ「すごいです」の一言でいいから自分の気持ち書こうよね、作文らしくさ。
これが電動鉛筆シャープナーとか目覚まし時計とかの機械系になると、これは作文ではなく取扱説明書ですか?となります。
各々のスイッチの説明で、おしまい。
そのため軌道修正をかけます。取説や本の紹介文で終わらないように…。
「それでどう思った?」
楽しかったです、とか難しかったです、とか、とにかく最後に何かしらの感想を息子から聞き出します。
そしてそれを作文のまとめ文として書かせて、終了!頑張ったね!というように持っていくようにする。
よし、出来た!作文終了っ!!
このような手法で小学校中学年から高学年までは乗り切りました。かんしゃくも1年前に比べたら格段の差で起こさなくなりましたね。
ある程度決まった書き方を見つけたことが、彼のストレスを減らしたようです。
最後に「感想」を書けばそれなりに仕上がる
作文は途中脱線しちゃっても最後に自分の気持ちを書いて終わりにすると、どうにかまとまって見えます。
最後に一言何か感じたことを書けば、あとは取説でもいいかなー、なんて思っています。あまり作文らしく、合間に感想を数回盛り込もうとしてもね、無理ですから。
取説要約作文も、息子くんの「個性」ってことでっ!
まとめ
次回は、これ以外にも当時実践してみた方法を書いていきたいと思います。
息子はダメでも、そちらのやり方が合っているお子さんもいらっしゃるかもしれませんからね。
作文に苦心している方のちょっとしたヒントになったら、嬉しいです。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。