発達障害だって、頑張るもん!

発達障害だって、頑張るもん!

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子を持つママ・ココです。子どもを通して学んだ発達障害児への対応、工夫、その他色々な情報をたくさんの人と共有できたらいいな、と思っています。

 

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【発達障害児の「作文」という問題・2】 作文を書こう!・前編

ベージュの背景に勉強をしている女性

 

こんにちは。ココです。

注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。

 

小学校低学年時に書くことができなかった作文。今日は「作文を書く」練習をしていきます。

 

● 作文を書く練習・息子流。口頭で話した文章を丸写しする、「模倣」という練習方法。

 

 

実は1年生の時は書けていた作文

 

さて。たくさんの言葉を駆使して長々とした文章を書くために、「わかんない!出来ないっ!!うわーっっ!!!」と、作文のたびに癇癪を起こしていた息子。

実は1年生のときは5、6行は苦も無く書いていた息子でした。

 

小学校1年生の頃は、あさがおの観察日記も絵日記も、普通の表情で書いていました。

1年生の頃まで蓄積していた語彙はそれほど大量ではなかったので、上手く使いこなせていたのだろうと思います。

 

それがどうしてある日を境に書けなくなってしまったのか。

息子はたくさん本を読む子だったので、言葉をどんどん頭の中にインプットしているうちに情報過多になり、「適切な言葉を選ぶ作業」が難しくなってしまったのではないか、と今さらながら推測します。

 

勉強がわからなくなっている男の子

 

5つある言葉を使って文章を書くのは造作もありませんが、30ある言葉から文章を作るのは、結構頭を使いますよね。

私たち人間は選択肢が多過ぎると、その選択自体を諦めてしまうか先延ばしにしてしまう心理が働きます。

 

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これをジャム理論といいます。別名「決定回避の法則」。コロンビア大学の社会心理学者シーナ・アイエンガーによって実証されました。

24種類のジャムよりも6種類のジャムの方が10倍も購入者が増えた、という実験でした。

 

自分の気持ちや状況を適切に相手に伝えることのできない息子は、大量の語彙の中から「言葉を選ぶ作業」を、かんしゃくを起こすことで回避していたように思います。

 

文を短く区切ると何とか書ける

 

たくさん持っている語彙をなるべく多く使いたい…。僕の考えていること全てを詳細に説明したい…。そんな想いをのせた、極端に長くて、結果何を言いたいのか分からない文章を作っていた息子。

 

うさぎのアイコン





しかも一文作成に1時間はかかるんだよ。半ページ仕上げるのを待っていたら4時間経過…。長っ!!

 

そこで「簡単に、分かりやすい文章を書けるように」なるために、短く文章を区切って書く練習を始めました。

あれこれ試行錯誤して1年半かかりましたね…。

 

現在は中学生。その後も語彙や情報がどんどん蓄積されていくので、最近また感想文のようなまとまった「作文」は書けなくなってしまいました…。

それでも毎日学校に提出する「今日の振り返り」の文章は、「短い文章を3、4文書いて埋める」ように工夫しているようです。

 

口頭文を「そのまま書く」

 

さて、小学校2年生の頃にまず最初にやらせた方法は、「最初から最後までママが口述し、それを書き写す」というもの。

 

しかし文章が作れないわけでも、適切な単語が思い浮かばないわけでもないのに「言う通りに文章を書かせられる」行為が頭に来るようで、息子は毎回大噴火を起こしていました。

 

「言われなくても出来るもんっ!」とは言うのですが、待てど暮らせど30分間1文字も書かない息子。

本当はゆったりと構えて彼のペースで書かせてあげたい、とは思うのですが。

 

そんなことをしていたらもともと集中力のない子ですから、そのうち違うものに興味を持って遊び始め、注意されて癇癪を起こし、泣いてわめいて疲れて寝て…気が付いたらもう夜でした、となってしまいます。

 

苦笑いの女性のアイコン





両手で数えられないほど体験済みです…。

 

なので、「とにかく黙って書きなさい!」と言って、ぎゃーぎゃー叫ばせながら、書かせました。

例えばこんな風です。

 

「じゃあこの魚について書くね。この魚見て、どう思う?」

「大きい」

「『川に大きな魚がいました』」(私が言ったことと全く同じように書く。)

「色はどう?」

「青。黒?…わっかんない!この本の色、ハッキリしないんだもん!うわーっ!」

(と、なぜか怒り出す。…始まったな…。)

「じゃあ混ぜる。『その魚は青いような黒いような、不思議な色をしていました』」

「不思議じゃないよ!青と黒は不思議じゃないよ!自然にはある色!不思議じゃないよっ!」(苛立ってうーっ、と唸りだす。)

 

HOW TOの文字

 

「じゃあ何て書く?」

「わかんないよっ!!!うわあー!僕はもうダメだ!無理!!出来ない!!」

(自然には確かに青っぽい黒っぽい色は存在するが、それをどう表現したらいいのか、自分が持っている語彙の中には当てはまるものがない。どう表現したらいい?そういった気持ちの苛立ち)

 

「わかんないならそのまま行く。『その魚は青いような黒いような色をしていました』」

「何で!青いような黒いようなって色なんかないよ!」

…ってな具合で進んで行きます。

 

「模倣」がいつか「オリジナル」になるまで

 

相当疲れますよ。私はこの人生に「忍耐」という試練を課して生まれてきたんだろうなあ…と頭の片隅で考えながら(笑)、毎回やっていました。

 

このやり方については色々な意見があると思いますが。

こんな感じで大人が補助してばかりいたら、いつまでも書く力がつかないのではないか?と思ったこともありました。

 

でも、模倣から伸ばしていく方法だってあるはずです。

画家志望の人が、著名な画家の絵を見てその筆遣いを練習するように。
模倣を繰り返すことで、そのうち自分なりの表現の仕方を見つけられるようになるかもしれません。

 

それまでは、補助してもいいんじゃないかな?って思えるようになりました。

定型発達の子供たちよりも、相当な時間を要するでしょうけれど。

これには息子の主治医も賛成派。

「最初からオリジナルを作り上げていくのは私達でもかなり難儀ですよね。テンプレートをそのまま書き写すことで行けるのなら、それでいいじゃないですか?医学部のレポートだって、母親が助手になって書いてくれる人も(同期には)いましたよ。自分で書けるなら勿論いいでしょうが、目的は『文章を書けるひと』になることじゃなくて、『医者になること』でしたからね」

 

模倣する子ども

模倣は立派な「勉強方法のひとつ」なんだよ!

 

作文の「目的」って何だろう?

 

そもそも、何のために作文を書かせるのでしょう?

作文コンクールで優勝するような、人々を感涙させる文章を作れるようになれたらとても素敵ですが、目的はそこではないですよね。


発達障害を持つ子供たちにとって、作文とは「自分の思いを相手に伝える」練習なのではないか、と思うのです。

そう。学習としての優劣を決める項目の一部ではなく、健やかに生きていくための「ツール」のひとつ。

 

まずは「スプーン」を持たせて。それで食べられるようになったら、ちょっと柄の長いスプーンに買い換えて、次は箸に持ち替えてみる。

 

子供たちはそのうち自分から色々試していくでしょう。
親は、他の方法も試してみよう!と彼らが自分で思うまでを、手助けしてあげる。

 

目的地に着くまでは、多少歩道から外れようとも、大目に見てあげたいですね。

だって周りの子供たちと、歩く速度は違うのですから。

 

その代わり、その景色は人と違う角度で見られます。みんな同じ目線の風景を見なくても、いいじゃないですか。

この子たちは、私達が気付かなかった花の細部の構造や、空気にも匂いがあるのだということを教えてくれるのですから。

 

こうして「全文ほぼ口頭で補助」の作文を書き続けた息子。

 

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次回はこの方法がステップアップしていくよ!

 

本日も最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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