こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
さて。自傷行為が激しくなり、息子には合わないのではないか、ということでエビリファイをやめた息子ですが…。
エビリファイをやめる
病院の先生にもよると思いますが、「薬をやめる」ことについては、相応の理由がある限り、親の判断を批判されることはそれほどないのではないか、と思います。
私は病院の先生に「急にやめるのはダメ」って言われるかも…と思ってドキドキしていたのですが、そうではありませんでした。
そんなわけでエビリファイをやめる、ということでお医者さんと話がつきました。
私はいつも学校や周囲から息子のことで「責められる」ことが多かったので、なにかというと「責められるかも…」とマイナスの感情を常に持っていました。
親が子供の服薬をやめることを責められることはよく考えればないことだと思うのですが、その頃の私は「責められる、非難される」 ことしか考えられませんでした。
きっと息子もそうなのでしょうね。
心が辛くて、どうしていいか分からないから「癇癪」という行動になってしまうのに、その「癇癪」が責められる…。
毎日、毎日「僕を責めないで」。
小さな心はそんな悲鳴で押し潰されそうになっているんだろうな…。
そう思ったら、泣けてきました。
泣けてきて、それと同時にとても愛しく思えて。
まだえくぼのある小さな息子の手を、診察室の中でぎゅっ、と握りしめました。
自分が変えられるのなら…
「そうだなあ。じゃあエビリファイをやめて、これからどうしようか?」
先生の問いかけに、息子はぽつりと言いました。
前みたいに戻りたい…
「前みたい」というのは、コンサータを服用していた時のことです。
魔法みたいにガンッ!と集中力が跳ね上がり、周りも驚くほどに全てをソツなくこなすことができた、あの頃。
先生からも褒められ、クラスメイトに「やればできる男!」と称賛され、習い事も上々。毎日がスムーズに流れていたあの時間…。
「集中力さえあれば、僕だって出来るんだ!!」
今までの自己否定感を真っさらにしてくれるほどの充実した日々に、息子は自信を取り戻していました。
しかしそんな日々もつかの間。半年後には消失してしまった、あの頃の自分に戻りたい…。
薬で自分が変えられるのなら…。まだ小学校低学年だった息子は、自ら薬の変更をお医者さんに求めていました。
それだけ、彼の心は切迫していたのです。
ストラテラを始めよう
発達障害における薬の服用には賛否両論あるかと思います。しかし息子のように、自分の感情をコントロールできずに暴走してしまう自分を「この世から失くしてしまいたい」と高い崖から身を乗り出さんばかりに責めたてる心が切望した「薬の服用」を、どうして否定することができるでしょうか。
どのように責められても、当時の私は息子の「心」を守りたかった。だから、薬自体を「やめたい」という私自身の言葉を発することはできませんでした。
お医者さんは少し考えていました。
あの、劇的な集中力を与えてくれた「コンサータ」は、自傷行為などの症状が出てきた場合、もう使用することができません。
しかし、息子の話を聞いて「多分、期待はできないと思うけれども…」
と、コンサータと同じADHDの症状を改善する薬「ストラテラ」を処方してくれました。
まとめ
あの頃の息子の気持ち…。たった8歳の子どもが望んだものは、「集中力を持続させて、みんなと同じように勉強したい」ということでした。
子どもが勉強することにそんなに執着するものなのか…?という疑問もあったのですが(私は小学校の頃、勉強より遊んでいたい!と思っている子どもだったので…)、息子の場合は「薬を服用してでも」コントロールしたいところだったようです。
頭の中に強制的になだれ込んでくる音や映像、色、匂い。それがちょうどよく整理されて、静かな脳のまま勉強できることが、彼ら発達障害児にとってどれほど素晴らしいものなのか…。
私達定型発達者にはきっと一生わからないことなのかもしれません。
次回もストラテラの話、続きます。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。