こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
春休みですね。給食があることって有難い!ということをしみじみ感じさせてくれます。さて今日は、質素で何もなかった、私の子どもの頃のお昼ごはんのお話。
キャリアウーマンだった祖母
私は田舎育ち。祖父母と同居の家庭でした。
祖母は体が資本の仕事をしていましたが、病気がちでほとんど保育園に通えなかった私をみるために同居して、家族全員が仕事に行っている日中は私を育児することに専念していました。
祖父の月給が薄っぺらかった若い頃は、「私が稼いでくるから大丈夫!」と冷たい川の中で行う肉体労働をしながら家計を支えていたそうです。とても明るく前向きで、きつい労働を厭わなかった祖母。
雨が降って作業が出来ない日は山に入って山菜やきのこを採り、冬は市街地から離れた町へ行商をしていたこともあったようです。
祖母はそんな辛い肉体労働を幾人かの友達を誘ってまとめ上げ、大きな企業に売り込みにいって成功させ、小さな会社みたいなものを作ってしまったパワフルな人。
今で言ったら、会社を立ち上げた「キャリアウーマン」だよね。おばーちゃん、かっこいいっ!
そんな祖母は「働く」ことに関しては優秀でしたが、「家事」は一切苦手な人でした。
仕事も家事も両立!できる人なんてそうそういない
ほうきで居間や客間を掃く、朝ガス釜でごはんを炊く。このふたつの家事は祖母の仕事でしたが、それ以外の家事は娘であった母の仕事でした。
母が幼い時は当時存命していた曾祖母が家事全般を回していたそうです。
要するに子育て時代も退職してからも、家事は任せっきり。特に炊事に関しては苦手だったようで、夕飯支度は当時小学生だった母が作っていたそうです。
今や仕事も家事も子育ても両立!趣味のヨガでインストラクターの資格を取って時々教室も開いてます!なんてスーパーウーマンがそこかしこに生息している世の中になったようですが。
私は祖母を見ていて思うに、「仕事に向いている」タイプと「家事に向いている」タイプの人がいて、仕事優秀タイプは基本家事にはあまり手を入れないのではないか、と密かに思っています。(スーパーウーマンも確かに一定数存在するとは思いますが…)
長期休暇のお昼ごはん
さて、そんな祖母ですから、小学校の長期休暇のお昼ごはんはとてもシンプルでした。
残りご飯にお醬油かけて、終了。前日の煮魚の汁をやはり残りご飯にかけて、終了。(もちろん煮魚本体はありません。汁だけ)
白菜の漬物をご飯に巻いて、終了。(白菜を巻いたおにぎりではありません。自分でご飯茶碗に盛られたご飯に、海苔のように巻いては食べ、巻いては食べ、3口で終了です)
お餅に使った「きなこ」の残り。ご飯にかけて終了。
これが長期休暇終わるまで繰り返されます。
おやつは梅干し3つ。終了。漬物小皿に一皿。終了。の繰り返し。
私はしょっちゅう高熱を上げ、布団から出ることがあまり出来ない子供だったので、母は食生活に本当に力を入れていました。
この祖母に出されていた簡素で栄養バランス全く無視のお昼ごはんのことは何年も知らなかったようですが、ある日事実を知って衝撃だったようですね。祖母に「もう少し考えた食事を出して欲しい」と怒ったことがありましたが、それでも祖母のお昼ごはんは全く変わることがありませんでした。
子供自身は何とも思っていない
しかし当の本人である私は、この手抜きお昼ごはんを何とも思っていませんでした。むしろ「美味しい」とさえ思っていましたね。
どんなに手抜き料理でも、子ども自身は何とも思ってないことが実は多いのかもしれません。
ちなみに自分でお昼ごはんを作って食べるようになってきた中学生の頃、ふと思いついて以前食べていた「しょうゆかけご飯」を食べてみたのですが、「うえ、こんなのよく食べてたな…」と思ったことを覚えています…。
まとめ
私の笑える子どもの頃の「お昼ご飯」。いかがでしたか?
びっくりするほど質素なお昼ごはんでしたが、今となっては祖母から可愛がられた時間を懐かしく追憶する楽しい想い出。
料理に興味があってレシピ記事を時々のせて「食育大事!」なんて言っている私ですが、育ちはこんなもんです(笑)。
栄養バランスより大事なもの。それは子供のときに蓄積させるたくさんの愛情。
新しい出会いへの準備期間である春休み。バランスを考えまくった三度の食事より、たくさんの「お話を聞いてあげる時間」「触れ合う時間」「大好き!と伝える時間」を持てたらいいですね。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。