2023年10月更新
こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今回は、子どもに「学校行きたくないオーラ」が出始めたときのお話。
学校が好き!だった息子
息子は基本学校が好きです。
こんなにかんしゃく多動異常行動全開でさんざん注意叱咤されまくってるわりには不思議です。
大親友がいるとかクラスの人気者というわけでもないし、運動神経抜群で体育はお披露目ターイム!なわけでもない。毎回満点!頭良いよね!と友達から尊敬の眼差しで見られるタイプでもなく、ただただ「大変なクラスメイト」という立ち位置です。
息子、実は「人が大好き」。
単純に人とコミュニケーションするのが好きなんだろうな、と思います。
自閉症スペクトラム(ASD)の診断も出ている息子。
自閉症傾向が見られる場合は大概人とのやりとりが苦手なので、人が多く集まる「学校」も苦手なことが多いのですが。
どっちかというと併発している「ADHD」の方がかなり強く出ているせいか、静かなところでじっとしているよりも、わちゃわちゃの中で動いて喋って笑いをとったりキレたり暴れたりする方を好みます。
いやいや、キレたり暴れたりは困るんですけど…。
そんなわけでママしかいない家に一日中いるよりは、人が集まる学校の方が大変さはあるものの、まだマシ!と感じているようで、「学校行きたくない」ということが全くなかった息子でした。
登校渋りはある日突然
そんな息子が一時期登校を渋っていたことがありました。
明確な理由は本人も話しませんでしたし、当時の私も見つけることができませんでしたが…。
数年経った今にして思えば、「定型発達の子たちと自分との違い」を「ハッキリと自分で認識し始めた」時期だったのかな…と思います。
それまでも「何となく」的な違いは感じていたようですが、その時は「何だかわからないけどみんなのように上手く出来ない」だけだったものが、成長して心無い友達から揶揄された言葉を「ただのからかい」としてではなく「悪意をもった言葉」として理解できるようになった頃だったような気がします。
いつも朝はダラダラとしてホントにギリギリな時間を送っていたのですが、そのだらだら感が一層増して、更にかんしゃく寸前オーラが部屋全体に漂って一触即発状態のまま「休もうかな…」と言う日が出てきました。
今まで聞いたことのないセリフだったのでびっくりしましたね。
そして初めてこの言葉が出た日を境に、息子は「休もうかな」を頻繁に言うようになっていきました。
学校行き渋りには「理由がある」
当時はADHDの診断が出たものの自閉症スペクトラムの診断はされていなかったので、それほど息子が繊細な心も持っているのだということがわかりませんでした。
とにかくかんしゃくや多動爆発な毎日だったので、人の心を(私達とは違う視点で)熟考できるようになっていたとは気が付かなかったのです。
そのため私は「一度学校をずる休みしたら、ズルズルと不登校になっていく」という神話を鵜呑みにしていて、とにかく嫌でも学校へ行かせよう!こんな問題児なのに不登校にまでなってたまるか!的な勢いで渋る息子を車に乗せて学校へ送り届けていました。
行き渋るには、それなりの理由があるものです。
自宅に留まることを許可されなかった息子は、この頃から授業中に教室を飛び出して屋上階段の踊り場でうずくまっていたり、校内中をうろうろしたり校庭に出てしまったりするようになりました。
一部の子ども達の悪意のある言葉や態度から逃げていたんですね。
こういった人に刃を向けるタイプの子どもたちは悪い意味で賢いので、先生たちは気が付きません。
むしろ先生たちから高い評価を受けている子達が多いんだよ。
息子もそれを敏感に感じ取っていたため、何年も黙っていました。
息子はその言葉にどう対応していいかわからず(かんしゃくを起こしたり手を挙げれば必ず自分だけが非難されることを分かっていたようです)、登校を渋ったり教室から飛び出したりする方法によって回避しようとしていたのです。
切ないですね。
本来味方になって盾にならなければならない親の私は、日々のかんしゃくと問題行動に対応するだけで精一杯で、そんな息子の気持ちに気が付きませんでした。
行き渋ったらまずは受容してあげる
何ヶ月かそんな状態が続きました。学校へは「休もうかな…」と言いながらも渋々車で送迎されていた息子。
そのうち校内でうろうろしているところを校長先生が通りかかって声をかけてくれて、理科好きな息子と一緒に校庭を散策して虫を観察する時間を設けてくれたり、特別支援教室担当だった先生が教室に招き入れてくれて1時間過ごさせてくれたりと、様々な逃避場所を提供されることによって、段々と行き渋るセリフが出てこなくなってきました。
半年後には通常通りに登校できるようになったよ!
でもあの時もっと息子の心に寄り添ってあげられたら…。
自己肯定感の低い息子のそのレベルを、こんなにまで下げてしまうことはなかったんじゃないかな…。そう悔やむのです。
もしお子さんに学校の行き渋りが出てきたら。まずはその気持ちを受容し、「そっか」と受け止めてあげてください。
そのあと「具合が良くなったら遅刻してきてもいいよ、って先生が言ってたよ」とか「図工だけ出て帰ってくるってこともできるよ」とか「ママが学校まで送ってあげるから、行きたくなったら行こう」とか、何か打開策を提示してあげるのもいいかもしれません。
ただし、私のように「とにかく行け!不登校になっては困るっ!」的に子供の言葉をねじ伏せてはいけませんよ。自己否定感はその後引き上げることが非常に難しいです!
自己否定感はその後の人生全部を否定形式で描いていきます。修正するには、親の力だけでは到底足りません。
「自己肯定感」は親が育んでいけるものですが、「自己否定感」を払拭するには親の言葉かけパワーのみではちょっと足りないんですね(小学生の場合)。だってもうここまで成長しちゃっているんですから(自己否定感も成長します!)。
まとめ
社長出勤の遅刻、1時間目で早退、好きな授業だけ聴講生。何でもアリだと思います。不登校になってしまったら、その時また考えればいい。なる前からあれこれ悩む必要はないです。
いま必要なのは、その気持ちを「受容してあげる」ことだけ。
いま一番その子が必要としているのは、ママの腕だけだなんて…。
そう考えたら愛おしくなってきませんか?
大丈夫ですよ。小学校なんて、サイアク行けなくなっても救済措置(フリースクール等)は他にもあります。今はただ、その子の気持ちを(理解できないけど)受け止めてあげる…。それでいいと思うのです。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。