こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今回は息子が実際に行っていた放課後等デイサービスのその後のお話。
子供も「施設」も、それぞれ変化はしていくんですね。
施設の変化
さて、息子は発達障害児療育に「熱心な」スタッフさんがたくさん居た時期に放課後等デイサービスの利用を開始しました。
その当時は息子と同様、情緒障害で自傷、他害、激しい癇癪を起こす子供たちに根気強く対応するスタッフが多かった施設でしたが。
時代のニーズによってどんどんその施設は拡大していき、スタッフも経験豊富な方だけでは人員不足となり、「以前保母を半年やっていました」「学童で子どものお世話をしていました」「1年間小学校で先生をやっていました」という経歴のスタッフさんが日々増えていきました。
アルバイト感覚なのか、3ヶ月で辞める方、「思っていたのとは違う…」と1日でいなくなる方、「それはスタッフとしてどうなの…」という発言を繰り返す方などが出たりして、だんだんと施設自体に不満が出てくるようになってきた頃。
息子の癇癪や暴言が徐々にヒートアップしてきました。
よく観察していると、放課後等デイサービスに行った日は「特に」激しいのです。
私も施設で面談してみたり様々なスタッフの方と話したりしているうちに、この施設の静かな変化を感じるようになってきました。
要するにスタッフの「療育への情熱が失せていた」のです。
構成員によって場は変わる
一番大きな変化は、主軸として働いていた経営者側のスタッフの移動でした。新規に開設した施設へと何人も移動したので、「情緒障害のある子への根気強い対応」ができる経験豊富な方がいなくなってしまったのです。
残ったスタッフは、「情緒障害よりも比較的手のかからない」知的障害の子どもたちの「生活スキル訓練」を中心にした活動を展開し始めました。
以前は情緒障害、知的障害(軽度、重度共)の子ども達を分けてそれぞれ活動していたのですが、「分けて活動」させるスタッフの余裕がなくなってきたのでしょう。
これまでは息子の場合、「集団での社会性スキルを訓練するための活動」が主でした。
「勝敗にこだわらずに皆でゲームを楽しめる」「譲り合いながら戸外活動を楽しむ」
「年下の子の面倒をみる」「時間を区切って活動する」。
それが「学校の宿題をする」(息子は家庭学習は問題ないので、宿題の時間は省いて「他人とのコミュニケーションを訓練する」時間をたくさん設けてほしい、と施設側に提言していました)。
「自分でお皿を出しておやつを出して食べる」
以前は施設の庭でみんなで育てた無農薬のじゃがいもを茹でて塩をかけたものとか、みんなでホットプレートで焼いたクレープとか、身体に優しいもの、楽しい活動を交えたものが「おやつ」でした。
それが「自分で冷凍庫から出したたこ焼きをレンジでチンして食べる」「カップラーメンに自分でお湯を注いで食べる」というものに変化してきました。
カップラーメンを作ったり、レンジでチンしたりというのは「自立訓練」としてやらせている、とのことでしたが…。
息子は冷凍食品やインスタント系のものは「薬品の味がする…」といって基本家では食べないのですが(もちろん食べれるものもありますよ!)、施設では「これはちゃんとした訓練なんだからしっかりやって!」と強制されていたようでした。
また構造化もあってか、個々に別々の作業をさせられ、子ども同士でケンカが始まると引き離して別な作業をさせる、といったスタンスに変わっていきました。
癇癪を起こしたことに対して「根気強く理由をきいてくれる」ことはなく、その子の気分がすぐに変わりそうな別な行動(YouTubeを見る、ブロックを出すなど)へと誘導するだけだったようです。
タブレットやゲームは「かんしゃくを静める魔法」ではありません。
要するに「その場限りの」「大人側にとってラクな」対応が多くなってきたんですね。
活動内容が意に沿わなくなってきた
以前のスタッフは「障害児にとって添加物や化学調味料は興奮剤にもなるんです。だからせめてこの施設内では、できるだけ身体や脳に優しいものを提供していきたいんですよ」と頑張ってらっしゃいました。
言語聴覚士や作業療法士の「療育」はほんの一部。基本は「みんなで活動し」「癇癪が起きたらスタッフが根気よくその子の話を聞いて心情を理解する」「それを親に報告して、ポジティブな方向への考え方を一緒に模索していく」。
運動療育とか作業療育とか構造化とか、そんな見た目は「効果がありそうな」立派な療育はほとんどありませんでしたが、「目に見えない、根底からのサポート」を重要視していたように思いました。
「なんとか療育」って専門用語はなんか凄そうだけど、発達障害児に本当に必要なものは、「訓練」ではなく「一緒に歩もうと決意した人との信頼と愛情。そしてお互いの忍耐力」なんじゃないかと思うんだ。
そんなスタッフのあり方に賛同して決めた施設。残念ではありますが、そんなサポート体制は風化してしまったように思いました。
まとめ
情緒障害よりも知的障害の子ども達の率が圧倒的に多くなってきた頃。本人の強い希望があって、その施設をやめることになりました。
構造化も作業療法も運動療育も、その頃の息子にとっては「かんしゃくの種」でしかなくなってきたからです。
「癇癪の内容を根気強く話し合って」「その言葉に寄り添い」「時間をかけて一緒に解決していく」。
どんな立派な「療育」よりも、そんな「当たり前だけどもの凄く大変な」サポートの方が、遥かに彼らの心に響くのだ。
そんな基本的なことを痛感させられた経験でした。
私達のやるべきことは「今ある社会に適応させること」ではなく、「その子の笑顔を守ること」。
どうか「何か凄そうな」療育の言葉に惑わされないでください。信頼と忍耐と愛情。それさえ根気強く育てていけば、きっとそれ以上の「技術」は要らない。
子どもたち自身が、それを教えてくれたような気がします。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。