今週のお題「ラーメン」
こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日ははてなブログお題・「ラーメン」。
私が心に残っているラーメンは、ゲレンデででの「カップヌードル」です。
さあ、白銀の世界へ!
最近はスキーやスノボなどの冬のスポーツをやらない若い世代が多いそうですが、私が学生時代は「スキー」が全盛期でした。
テレビや駅の広告に「輝く白銀の世界へ!」なんて言葉がキラキラとしていて、広瀬香美の「ゲレンデがとけるほど恋したい」や
槇原敬之の「冬がはじまるよ」、
定番のユーミン「恋人がサンタクロース」などが街中やゲレンデで流れていた時代。
学友たちはスキーを楽しんでいましたが、私はその頃父が亡くなったりしていて、バイト代は学費や生活費に消えていたため、学生時代にスキーデビューはできませんでした。
始めたのは社会人になって数年経った頃。
この頃にはスノーボードが出始めて、新しいモノ好きな子ややんちゃ気質の子がこぞってゲレンデに繰り出していましたね。
ゲレンデもスノボ専用のコースやハーフパイブができたりして、冬はみんな雪の中へ遊びに出かけていました。
ゲーム世代とは違って健康的ではあったのかな??(笑)
田舎のゲレンデへGO!
そんなある日、会社の同僚が田舎の「人が少なくて、自由なゲレンデへ行こう」と誘ってくれました。
彼女はボーダーで私はスキーヤーでしたが、どちらも初心者。混雑するゲレンデでは、人の流れを読みながら滑ることが難しくて、楽しめません。
でもそのゲレンデは山あいの田舎にあって人も少なく、駐車場からすぐにゲレンデへ出られる好アクセスな場所だそう(駐車場に車を駐車したら、バスやバンでゲレンデへピストンされるスキー場が多いです。そうなるともっこもこのスキーウエアを着て荷物やスキー板、着替えなどを持ったりして移動のため、ゲレンデに着く前からちょっと疲労感が…)。
リフト代も安いし、どう?ということで、それぞれ当時付き合っていた人と共に行きました。
そこは小さくて、静かなゲレンデでした。コースも1コースしかなく、人も数えるほど。
大きなゲレンデでは常に音楽が流れていましたが、そこは音楽もなく、ただただ、風が木々を揺らす音と小鳥のさえずりが聞こえる、素敵な場所でした。
当時は「スキー場でかっこよく見えて、付き合うようになった」というカップルが多かったです。夫も私の従妹もそんな経験があるそう。滑れると、4割増しで爽やかでカッコよく!見えるようですよ(笑)。
ゲレンデでカップヌードル
数人しかいないコースを、きゃーきゃー言いながら、私たちはそれぞれスノボやスキーを練習。
とても天気がいい日だったので、見上げると山の稜線がはっきりと見えます。
野鳥のさえずりと白銀の雪に反射してまぶしい日差し、青く澄み渡った美しい空。
ゆったりとした時間が、日頃の会社でのストレスを綺麗に浄化してくれるようでした。
そんな小さなゲレンデの端っこで、4人くらいの若い男性陣が輪になってスノボの上に腰を下ろしていました。
よく見ると、輪の真ん中にカセットコンロを置いてお湯を沸かし、みんなでカップヌードルを食べている様子。
冬の晴れた空の下、みんなそれぞれ違う味のカップヌードルを回し食べしながら談笑しています。
それがすっごく楽しそうで。「いいよねー、私達も今度ここに来たらお湯沸かしてカップヌードル食べよう!」
そう同僚と約束をしました。
冬キャンプはしたくないけど、雪上でなんちゃってアウトドアクッキングならやってみたいです!お湯を沸かしてコーヒーでもいいなあ。そうしたら、寒いだけの景色がまた違って見えてきますよね、きっと。
結局その後、彼女は付き合っていた人と別れてしまったので、約束は実行されませんでしたが。
今でも輪になってカップヌードルを回し食べしていた男性陣の笑顔と、青い空に白銀のゲレンデが印象に残っています。
まとめ
今ならゲレンデでそんな行為をしたら注意されて、もうできないことでしょうが。
若くてもそれぞれがある程度のマナーや節度をもっていたからこそ、の自由な時代だったのかもしれません。
河原でバーベキューする若者も多かった時代でしたが、ゴミが散乱する状態を見たことはなかったですね。
ゲレンデの映像を見るたびに、そんな昔のことを思い出します。
私の憧れのラーメンは「ゲレンデでカップヌードル」。発達障害児息子も夫とスキーを楽しむので、いつか実現してみたいけどなあ…。
あなたの憧れのラーメンは何ですか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。