こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
さて、私的には失敗だったな、と後悔した幼稚園選び。それでも、それぞれのメリットは確かにあります。今回は各々のメリットをご紹介します。幼稚園選びに悩んでおられる方のご参考になれば幸いです。
教育主体幼稚園のメリット
発達障害といっても、100人いれば100通りの困った感。
息子には「教育主体」の幼稚園は合いませんでしたが、 子どもによってはかえって良い結果を生むことだってあります。
今回は僕が経験した範囲で言える、それぞれのメリットを書いていくね!
まず、教育主体の幼稚園は、言わずもがな、小学校前の早期訓練ですね。
小学校でやるマット運動、縄跳び、跳び箱、水泳などの体育系。
鍵盤ハーモニカや太鼓、木琴など楽器の演奏に加え、楽譜を読む、発声などの音楽系。
時計を読む、平仮名、カタカナなどを読み書きする、足し引き算、九九などを覚えるなどの勉強系。
アルファベットの読み書き、英会話、リスニングなどの英語系。
絵画、クラフトなどの美術系。
料理、裁縫などの家庭科系。
息子の幼稚園でも、上記の系統をほぼ網羅した活動をしていました。
これだけ早期にやっていれば、いざ小学校に入ったときにすんなりできる確率は上がりますよね。4月から突然幼稚園とは全く違う小学校生活が始まっても、ストレスが少ない状態でしばらくは過ごせます。
特に鍵盤ハーモニカや水泳などは事前にやっている、やっていないの差が歴然とします。
全てが初めてのオンパレードである小学校では、定型発達の子でもストレスが過度になってしまって大変なのですが、ちょっとコツのいる「鍵盤ハーモニカ」と「水泳」は事前にやっていると相当ラクなようですね。
息子が幼稚園の頃は鍵盤ハーモニカ、全く演奏しません(できません)でしたが、鍵盤の位置、息を吹き込みながら指を動かす、ある程度の音階、などの基礎知識は頭に入っていたようで、1年生の授業参観では難なく演奏していました。
出来る節だけね!それでもいいんだよ!とりあえず1音でも吹ければオッケー!
これが事前にやっていなかったら「できない」劣等感が更に加速してしまって、高学年になっても出来ない(参加しない)まま学年を終えていたのではないのかな、と思います。
まあ、息子の地域は前述した通り教育熱心な所だったので、皆これが昨日までの幼稚園児か?!と思うほどハイレベルな子がわんさか居たため、有利感は全然なかったのですが…。
水泳に関しては、泳げる子と水に顔をつけることさえ無理!というような子の差が大きいので、「水慣れ」しているだけでも違うかもしれません。
水泳だけは絶対に嫌で、水泳のある日だけ欠席していたのが、そのままずるずると不登校になってしまった、という例を聞いたことがあります。
発達障害の子はもともと何か習得するのに困難な場合が多々あるので、ある程度の早期訓練は、性格によってはプラスに働くこともあるかもしれませんね。
そして、幼稚園の段階で早期に「発達障害」に気付くきっかけになる可能性は、遊び主体の幼稚園より高いかもしれません。
遊び主体幼稚園のメリット
対して、遊び主体の幼稚園のメリットは。
私が思うに「幼稚園の間だけは」それほど劣等感なく過ごせる時間が作れる、というところが一番じゃないかなー、なんて思います。
一斉に座って一斉に何か同じことをしなければならない教育系の幼稚園だと、どうしてもその落ち着きのなさが目立ってしまい、3歳頃から既に親も子供も「周りと同じようなことができない」という引け目を感じながら何年間か過ごさなければならなくなるかもしれません。
しかし、遊びが主体となっていれば、その行動力は「非常に元気がいい」くらいで留まる可能性が高いですね。
ある小学校では、発達障害の支援クラスの子たちに毎朝軽い運動をさせてから授業に入るようにしたら落ち着き度が格段に上がった、という報告があったそうです。
頭の中がすぐにパンパンになってしまう彼らには、適度な運動は良い効果を生むようですね。
特にパワーみなぎる幼稚園時代、頭を使う時間以上に体を動かす時間が多くとれる遊び主体の幼稚園は発達障害の子供たちにはうってつけ、なのかもしれません。
実際、遊び中心の幼稚園にいた頃の僕は、座っている時間はちゃんと座っていられたんだよ。だから周囲から浮くことも怒られることも全然なかったんだ!毎日楽しく過ごしていたよ!
自己否定感なんて、そんな幼い頃から蓄積させるものではないですからね。
まとめ
早期訓練で、入学後にストレスが少なく過ごせるようにした方が良いか。
幼稚園の間は何も考えず、元気に体を使って楽しい記憶をたくさん貯め込んでから入学に挑むか。
その子に合った幼稚園を、できたら選んであげたいですね。
私は二度目の教育主体の幼稚園選びは失敗だったな、と思いましたが、今になって思うと、その経験があったからこそ無理な教育計画を息子に押し付けずに済んだのかな…とも思いました。
若くない出産で、一人っ子。若かった頃よりも知識があるため、つい「あれも早期に習わせたい」「英語を幼少からやっていたら、絶対ラクだ」。
そうやってあれもこれも、息子に強引に吸収させようとしていたかもしれません。
自己否定感を日々募らせていく息子を見て、この子にはこの子の歩幅があるんだ…。そんな当たり前のことを、痛感されられました。
逆に言うと、息子はそんな経験を通して私に「良質な」子供を育てたいという「エゴ」に気付かせてくれたのかもしれません。
子育ては「親育て」。そんな言葉を日々、実感させられます。
本日も最後までお読みいただいてありがとうございました。