こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今春、発達障害児息子はお陰様で全ての義務教育を無事修了しました。
発達障害への意識が変わってきた時代を越えて
生まれてきて15年間、発達障害と分かってから8年間。息子と私は、疲労と苦悩、謝罪と嘆きを練り合わせた日々を、ただただがむしゃらに突っ走ってきました。
その間に時代は激動の変化を遂げてきました。
小学校の入学式には「入学式くらいで会社休むなんて聞いたことがない」と夫に言われて一人で出席しましたが。
その間に流れた時間で育休、イクメンという言葉が徐々に広がって、中小企業である夫の会社でも「入学式には父親も参加するのが普通」という雰囲気になり、今回は夫婦揃って息子の卒業式に出席しました。
「発達障害」という言葉も、まだ一部の専門家以外よくわからない時代だった、息子の小学校低学年時。
支援クラスは知的障害支援クラスのみあるのが一般的で、情緒障害支援クラスなんて存在しませんでした。
そのため、多動や自傷がひどかった息子は学校での居場所もなく、教室からは追い出されていました。
毎日障害に理解のある、担任を持たない先生や校長先生と一緒に職員室でプリントを印刷したり、私が学校へ行って、隣の空き教室で二人でテストを受けたり。
登校拒否には不思議とならなかった息子でしたが、高学年になって初めて「情緒障害支援学級」ができるまで、授業を全く受けられない(受けることを拒否されたような)学校生活を送っていました。
このブログを始めた当初も「発達障害」という言葉がまだ浸透していませんでしたが、この5、6年で随分認知されるようになってきましたね。
息子の卒業式では、そんな昔のことが走馬灯のように頭の中を駆け巡っていました。
宝石箱のような卒業式
中学校では夫の転勤のために転校を経験し、また1からの居場所つくり。そして慣れない土地での高校受験。
色んな感情を味わいましたが、それら全てが今に繋がっているんだよな…。
卒業式の間ずっと、背筋を伸ばして座っていた息子と、支援級の仲間たち。
彼らは不登校な期間もあったり、行事に参加できないこともあったり。
それでも卒業式にはちゃんとみんな揃ってこうして座っている。
色々な事情があるのでしょうが、15人ほどは卒業式さえ欠席だったのに、支援級の子たちは全員、出席できているなんて…。
それがすごく「奇跡的な感動の一場面」のように思えて。
そしてそんな彼らの後ろ姿を見ていられる瞬間が、宝石箱のようにキラキラと眩しく輝いて見えて。
定型発達児よりもずっとずっと重く長く苦しい時間を過ごしてきた私達支援級の親は、きっとみんな同じ思いだったに違いありません。
支援級の親御さん達は、他の親御さんのように全然関係ない雑談をこそこそ喋りあったり、スマホをいじりながら時々式の様子を目線だけで見上げるようなことは一切なく、式の時間の一部始終を全力で心に焼き付けていたようでした。
義務教育、という意味
息子の中学校では、卒業式が終わったあとに公立高校の合格発表があります。
今現在住んでいるこの地方では、公立高校進学希望者が圧倒的に多いため、私立高校や高等専修学校など合格発表の早いところを受験した者以外は、卒業式の時点ではまだ身の振り方が未定です。
しかし息子の第一希望の学校の合格通知は2月中旬だったため、我が家では2月下旬から制服の採寸・注文、入学金納入、教科書代振り込みなど卒業式前からバタバタとしていました。
そのため先月からお札がパタパタと飛んでいってます。そう思うと「義務教育」ってすごいよね…。と改めて感じました。
義務教育は無償です。
配られる教科書に始まり、低料金で栄養価がきちんと計算された給食、学業、校外活動、人との関わり合いかた。
それらを時に葛藤したり、苦しくて癇癪を起こしてボイコットしたりしながらも、息子は各ステージで学ばせて頂きました。
これからの人生に必要なこと、辛くても越えていかなければならない壁に挑むこと。
定型発達児、自閉症・知的障害・ADHD・学習障害・吃音などの特性ある子たちと、それぞれの価値観・困難さを手探りで確認していくこと。
集団の中でしか学ぶことのできないそれらの学びを、無償で皆さんに提供してもらってきたのです。
先生方やスクールカウンセラー、黙って様子をみてくれていた給食の管理栄養士の先生。
主治医や発達障害を担当する教育委員会の方や習い事の先生。
そしてこのブログで応援してくれる方たちや、税金で支えてくれる全国民の皆様に。
卒業式の間中、ありがとうございます、という気持ちでいっぱいになって、泣けてきました。
まとめ
ありがとうございます。皆様のおかげでここまで歩き続けることができました。
独身の頃は、給料から天引きされる税金の金額に不満を覚えてばかりいました。
でも今なら違います。
息子を皆がここまで支えてくれたんです。今度は私が、そしていつか息子が。誰かのためになれるように。
そう思わずにはいられない。そんな気持ちでいっぱいになれたのは、発達障害という課題を背負って生きてきたからこそ、かもしれません。
感謝の気持ちで溢れる想いを体験できたこと。その想いを今度は誰かのために繋いでいきたいと思います。
発達障害に対する皆様の理解と応援に、心からの感謝を。そしてどうそ、これからもよろしくお願いします。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。