こんにちは。ココです。
注意欠陥多動性障害(ADHD)で自閉症スペクトラムな息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
今日は前回の集団登校の続きです。
どんどん問題行動が表れてきた息子。しかし問題行動の裏には、必ず理由があるものなのです。
「問題行動」を自分の目で確かめる
連日の苦情に、私は息子に「なぜ列からはみ出ると危ないと分かっているのに、そんなことをするのか」と問い詰める日々でした。
しかし毎回返事はなく、ただ泣くか癇癪を起こすばかりです。
ある日、私はいつものように息子を子供たちの集合場所に送ったあと、少し離れて付いていってみることにしました。
実際はどんな感じの「問題行動」なのか。子ども達からの「報告」としてではなく、自分の目で確かめてみようと思ったのです。
その「問題行動の発端」には理由がある
まず最初に「ん?」と思ったのは、息子が前を歩くお友達と話しながら歩いていて、よく聞こえないのかその子の横に並ぼうとしているところでした。
上級生が息子のランドセルを掴んで、列に引き戻します。そうなった途端、息子は何やらわめいて両手を振り回し始めました。
癇癪始まったか…。
私がすぐに止めようと走り出そうとしたところ。
別の班の男の子が向こうから走ってきて、いきなり息子のランドセルをグイッ!と地面に向かって思い切り押し下げました。
当たり前ですが、小さい1年生である息子の身体はガクン、と後方へのけ反り、転びそうになりました。
横断歩道の真ん中だったため、車が軽くクラクションを鳴らします。そこで息子はわめきながら走り出しました。上級生が追いかけ、ランドセルを掴み、引き戻そうとします。
小学生は、まだ自分のやった行為の結果が容易に想像出来ない幼さがあります。
悪意のない悪戯かもしれませんが、万が一を考えると少し怖いですね。
例え悪気がないとしても、事故があった後では遅いですから…。
「嫌な事をされた」ということが「説明できない」
その日学校から帰ってきた息子に「嫌なことをされるという話をしてくれたら良かったのに」と言うと、「どう言えばいいのかわからなかった」というような返事が泣きながら返ってきました。
どうやら嫌なことや問題となることを「どう説明したらいいのか分からない」ようでした。
語彙が豊富で、知能検査でも言葉を使った説明が群を抜いていた息子だったため、私も「語彙が豊富なのに説明ができない」ということがあることを、息子には当てはめて考えたこともなかったのです。
自分のことと、自分に近しい者のことは案外見えないもの。だから担任の先生やお医者さん、カウンセラー、子どものクラスメイト…。たくさんの視点からの意見を聞くことは重要だよね。
「助けを求めるスキル」の大切さ
そして、そもそも「誰かに助けを求めるために何かを伝える」ことさえ、彼にとっては思いもよらない発想のようでした。
この「誰かに手助けを求める」スキルは、発達障害児にとってとても大切なスキルです。
なかなか彼らにとって身につきにくいスキルではありますが、折に触れて「そんなときは先生に相談しよう」「道がわからなくなったら、コンビニなどのお店に入って、店員さんに聞くことだってできるんだよ」等、何度も何度も話してあげるといいですね。
実践はできなくとも、「そういう方法があるのだ」「この場合はこういう方法をとった方が早く解決できるのだ」という「解答例」みたいなものを、大人になるまで蓄積できるかもしれませんから。
いずれ私達親がいなくなった後も、彼らは自分の足で歩いていかなければなりません。「解答例」は多く知っていた方が、断然自分の行先に迷う確率が減少します。
困ったままその場に固まって動けなくなってしまう事の多い彼ら発達障害児。「今」はできなくとも、大人になった時に「今まで蓄積しておいた解答例」を広げて考えてみることができるように。少しずつ教え続けていきたいな、と思っています。
まとめ
さてそんなある日、息子が鼻血を出して帰ってきたことがありました。
登校途中階段で突き飛ばされて転げ落ちたのだそうです。
それがわざとなのか、誰かのランドセルが当たってしまっての誤った結果なのかは、見ていないので断言できません。
ですが、時々集団登校を観察していて「集中攻撃を一部の子から受けているようにみえた」私は、この日を境に集団登校をやめ、息子を毎朝車で送っていくことを決意しました。
次回はその決意に絡む私の迷いについて、書いていこうと思います。
本日も最後までお読みいただきありがとうございました。