
こんにちは。ココです。
注意欠如多動症(ADHD)で自閉スペクトラム症な息子の行動と会話から何かのヒントを綴っていく当ブログへようこそ。
長期休暇に実家に帰ると、毎回着手する「実家の断捨離」。
今回は祖父母・父母・私の「3世代のアルバム」を断捨離してきました。
分別が大変!
私の実家には70代後半になる母が一人で住んでいます。
1年の半分くらいは私たちが暮らしているマンションに来て、車を手放した後、なかなか行けない歯医者に通ったり、お買い物や孫(発達障害児息子)との会話を楽しんでいます。
父が亡くなり、祖母が亡くなった後は、実家に帰るたびにちょこちょこ断捨離をしていました。
私が20代の頃には、物置(といっても田舎の物置は2階建てで、2階は畳もある「泊まれるくらいの部屋」になっているほど大きいです)に大量に残されていた、結婚式の引き出物を中心に片付けをしていました。
祖父は公務のトップを務めていたこともあり、結婚式には毎月呼ばれていたものでした。ご祝儀もかなりの金額が飛ぶため、引き出物も割としっかりしたものが多かったです。
この世代は「もったいない」感があったのか、それらは一切使わず、物置の2階にどんどん積まれていました。あまりに多いので、「引き出物専用押し入れ」まで祖母が作っていましたね。
そっちの改装工賃の方がもったいない!とは思いますが、まあ、その世代の価値観ですからね…。
引き出物は毎回車に8箱くらい詰めて持ち帰り、綺麗に掃除してリサイクルショップに出していました。
まだ若かったので、友達とフリーマーケットに出店したこともありましたね。
そんな引き出物、昭和の当時あるあるなのですが、「結婚記念・田中〇郎・〇子」などの文字が裏面によく入れられていました。
それらの名前はネイルの除光液で消していたのですが、ちょっと「跡」が残るんですよね。

それでもその当時は買い取りされていました。
今は買い取りはされないで、すべてゴミとして処分しなければならないでしょうが…。
発達障害児息子を出産して、10年くらいはそんな心の余裕がなかったので実家の片付けはお休みしていましたが。
息子が中学生になったあたりから、また始めました。
それから数年で実家のモノはだいぶ減りました。
今回は、断捨離で「一番最後にしてね」と言われる「思い出に関するモノ」・アルバムに着手です。

昭和のアルバムは重厚で美しいんだけれど…
祖父母の時代は写真自体が少なくて、すぐに終わったのですが。大変だったのはカメラ好きな父の大量のアルバム…。
父方の祖父は、仕事の関係で暗室をもっていたため、カメラ類が大量にありました。
父はその影響を受けたようで、カメラ好きでした。
父の会社にも同じように仕事の関係上暗室があったので、思う存分趣味としても楽しんでいたのだと思います。(会社でも写真関係の仕事は父に任せられていたようです。)
昭和の時代、まだ写真が白黒で、写真が貴重だった頃のアルバムは、とにかく重厚。
表紙も布張り。豪華で重量もあります。
このアルバム類を断捨離するのに何が大変って、金具の分離!
写真より「アルバムそのもの」の処分が大変だった!
実家の自治体はごみの分別がとても厳しく、きちんと分類しないと回収されないうえに、(田舎なので)誰が出したゴミかがすぐ把握され、近所の誰かが玄関先へ「分別してから出してね」と言わんばかりに置いていきます。
えーっ!個人名まで分かっちゃうの?!って思われますか?
そうなんですよー。田舎を舐めちゃいけません。プライバシーって何??って感じですからね。
だからきちんと分別。でもこのアルバムのリングが、めっちゃ丈夫!昭和の時代のものは頑丈このうえない。
凄いなあ。1960年代だから、60年も前のアルバムなのに、とっても綺麗に残ってるな~。
…なんて感心している場合じゃなくて。一段、一段、ひとつずつペンチで緩めてはバチン!と切る。という作業が一番大変でした…。

このリングがね…。とにかく頑丈!!ひとつずつ、ペンチでバチン!と。5つくらいやると、手が痛くなりました。これはもう、母では無理だな、と思いましたね。
母はペットボトルの蓋さえ今では補助器具なしでは開けられないくらい、握力もなくなりました。
手に力を入れるとそのまま腰にくるので、ぎっくり腰にすぐなっちゃいます。
片付けたくても、もう体力的に難しいものが1年ごとに増えていくんですね。
そんなわけで、毎日毎日、一段一段、ペンチで切る作業をしていました。
これが非常に疲れる…。
しかし発達障害児息子は、こういったことはやってくれませんし、頼むと非常にイライラしたオーラ全開で、こっちがイライラしてきます。(たった一段さえ、「無理!できないしっ!」と声を荒げてぶん投げる…。ほんと、もう、使えない…。。。)
いやあ、大変でした。手が…。
1冊終わるごとに母と一緒に見て。要る・要らないを分類してもらいました。
要る写真は空き箱にバサッ!と入れて。要らない写真はシュレッダーにかけたり、手で裂いたり(古すぎて台紙から剝がれないものもあるので、シュレッダーにはかけられず…。)
要るかどうか迷ったものは「またあとで見返したときに捨てればいいから、迷ったら箱に入れておいたら?」と言った言葉に気が楽になって、分別が進んだそうです。

父のアルバムの一部。父は鉄道員でしたので、こんな写真やネガがたくさんありました。スライドショーに使うネガもありましたね。
大爆笑!失恋アルバム
写真雑誌であるアサヒグラフで賞を何度かとったこともあるくらいの腕前な父だったため、「写真自体」に作品的な価値を見出していたのか、父は写真をたくさん残していました。昔お付き合いした女性の写真まで…。
そんな女性とのグループ旅行アルバムやら、失恋旅行アルバムやらがわんさか出てきたのには笑いましたよ~。
「快晴の〇〇展望台。しかし、私の心は雨模様です。クシュン…。」
「明日でこの旅行は終わり。このままこの線路の続くずっと先まで乗っていけたらいいのにな…と思う。『秋の日のヴィオロンの ためいきの身にしみて ひたぶるに うら悲し』」(フランス詩人・ポール・ヴェルレーヌ 「秋の詩」 上田敏訳 を引用していた模様…(笑))
そんな父の書いた字にもまた大笑い!娘の私は爆笑!!でした。
いやあ、私も高齢になってから息子にこうして爆笑されないように、恥ずかしいアルバムや文集なんかを断捨離しておかなくちゃ!!という気分になりましたね(笑)。
ちなみに失恋旅行は日光東照宮のようでした。
昔女友達が失恋して、同じように失恋旅行先が日光東照宮だと聞いて、
「失恋旅行でなんで日光東照宮?!北海道のラベンダー畑とか、沖縄の美ら海水族館ではなく??」と、他の友達と大爆笑したことがありましたが。
ここにもいたよ、失恋旅行先が「日光東照宮」のヒト!!!
と、足をバタバタさせて大笑いしちゃいました(笑)。
重い気持ちになってしまうアルバム断捨離が、孫と娘と大爆笑な時間になって、母は気持ちも軽く処分できたようです。
良かった、良かった。お父さん、笑える話をありがとう(笑)!!

ともすれば悲しい思いや辛い思いになりがちな、高齢親との断捨離。できれば笑いながら、明るく身軽にしていきたいですよね。
なかなかに難しいですが、こちらもなるべくプラス方面に意識を向けられるような話し方を心がけています。
まとめ
カメラ用品の中には、ネットで売れば高値がつきそうなものもありましたが…。
そんなこんなとダラダラと時間をかけられるような優雅な身ではないのよ、発達障害児育児で毎日神経すり減らしている私はね…。
なんてため息をつきながら、実家のゴミ処理センターを2往復しました。
今回は30冊のアルバムと2000枚の写真、タンスまるごとひとつ分のカメラ用品を断捨離。いやあ、頑張ったな、私(笑)。
というわけで、今日は実家での「アルバム」の断捨離について、笑いを交えてお話しました(笑)。
本日も最後までお読み頂き、ありがとうございました。